取材・文/ふじのあやこ
一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
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株式会社NEXERとイオンライフ株式会社が運営する「イオンのお葬式」は共同で「終活の必要性」に関するアンケート(実施日:2024年7月9日~7月18日、有効回答数:60歳以上の全国の男女454サンプル、インターネット調査)を実施。アンケートでは、「あなたは終活が必要だと思いますか?」の問いに82.4%の人が「終活は必要だと思う」と回答している。しかし、「終活は必要だと思う」と回答した人に「実際に終活をしていますか?」と聞いてみると、74.6%の人が「将来的にしようと思っている」と回答し、実際に「している」と回答したのは24.1%だった。
今回お話を伺った亜美さん(仮名・45歳)は物で溢れる実家の状態を見て、親がいなくなった後のことを考えて不安を覚えていたという。
共働きで家は裕福だった
亜美さんは両親と1歳上に兄のいる4人家族。両親は共働きで、母親は亜美さんが小さい頃は時短勤務などをしていたが、小学校高学年のときには正社員として復帰していた。母親と一緒に過ごせる時間は少なかったが、その分、家は裕福で自由だったと振り返る。
「父親も大手企業のサラリーマンだったので、父親だけの収入でも暮らしていけたはずです。お金のためではなく、母親は仕事が好きだったんだと思います。家に帰ったときに母親がいない子はかわいそう、というイメージを持たれることが当時は多かったのですが、私は全然かわいそうでも寂しくもありませんでした。綺麗なスーツを着こなして、生き生きと仕事をする母親が大好きでしたから。
それに年子の兄がいたので、1人でもなかったんです。母がいないときは兄といつも一緒におやつ作りをしていました。母はそれを知っていて、おやつ作りのキットなどを買っておいてくれていましたね」
母は多忙で買い物に行く回数を極力少なくするために週末は車を使って買いだめをし、家には色んな日用品や食料品がストックされていた。両親と色んなスーパーやデパートを巡る時間が亜美さんは大好きだったという。
「今はあまりないかもしれないけれど、当時は1階だけでだだっ広いスーパーがあったんです。子どもが迷子になったら自力で親を探すことなんて、絶対に不可能という場所でした。最初はそこで迷子になると怖くて泣いていたのですが、何度か迷子になると、そのただっ広い空間で親とはぐれることが面白くなっちゃって。必死に買い物をする親からいかにうまく気配を消して逃げるかのゲームを兄と一緒にしていましたね。もちろん、後で両親からめちゃくちゃ怒られるんですけどね(苦笑)」
母親はスーツなどの洋服をたくさん持っていた。父親も同じで、夫婦の寝室にはクローゼットが2つあった。
「両親はどちらも洋服が好きだったみたいでたくさん持っていて、特にスーツが多かったですね。どのスーツもそこそこの金額がするものなのか、古くなったものも捨てずにクローゼットに並べられていましたね。母親はシーズンごとに衣替えをするんですが、その度に大量の防カビ剤を用意して1着ずつ丁寧に閉まっていく様子を、私は母の隣で見ていました。小さい私に『これは初めての給料で買ったものなの』など、思い入れがあるスーツは説明をしてくれていましたね」
【両親は大きな病気を1つもしなかった。次ページに続きます】