取材・文/ふじのあやこ
一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
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一般社団法人子ども未来がっこうでは、「子育てに関するアンケート調査」(実施日:2023年10月27日~11月11日、有効回答数:中学生までの子供を育成する保護者210人、インターネット調査)を実施。アンケートによると、62.7%もの母親が子育てに辛さを感じていることがわかった。さらに、78.1%もの親が子どもを怒りすぎた経験あり、66.6%の親が子どもを他の子と比較していたと回答している。
今回お話を伺った聡美さん(仮名・43歳)は親のことが大好きだったが、母親の姉の家族と関わったことで聡美さんと母親との関係は悪化してしまっていたと振り返る。
従姉は本当の姉のような存在だった
聡美さんは両親との3人家族。両親は20代半ばで結婚したものの、聡美さんを授かったのは30代半ばだった。長い不妊期間を経ての子どもの誕生だった影響もあり、聡美さんは父親から溺愛されていたという。
「父親は、母親に内緒で父のお小遣いから私の欲しがるものは何でも買ってくれました。私は近所の大型スーパーの中にあったゲームセンターが大好きで、そこで10円でできるゲームにハマっていたのですが、いつも父親が付き添ってくれていましたね。当時は携帯なんてないですから、長時間そこで遊んでいると母親が鬼の形相でやって来て、父と2人で母親から怒られる、ということが週末の度に起こっていました」
母親の姉(聡美さんの伯母)は母の4歳上で、近所で暮らしていた。伯母の子どもは聡美さんの10歳上の男の子と4歳上の女の子の2人。聡美さんはその2人の子どもとは小さい頃からよく遊んでいた。特に年齢の近かった従姉のことは姉のように慕っていた。
「一人っ子だったから、自分に兄や姉ができたような感覚でした。兄のほうは私と10歳も違うので一緒に遊ぶというよりも見守られるような対象でしたが、姉のほうは年が近いこともあって一緒に遊んでくれていました。流行りのものや悪いこともすべてその従姉から教えてもらいましたね」
伯母の家族関係が悪化したのは、伯母の夫が単身赴任によって1人で地方に行ってから。その頃には夫婦関係は破綻していたようで、夫側は家族がついてくることを拒否し、そのまま戻ってくることなく伯母夫婦は離婚に至った。
「伯母の旦那さんは仕事が忙しく、元々そんなに社交的なタイプじゃなかったみたいで、私の家族と家族ぐるみで遊ぶときはいつも旦那さんを除いた6人でした。だから単身赴任をしているときも、伯母家族と遊ぶことに大きな変化はなかったんです。
離婚したと聞いたときも特に変化はなく、私自身は何も感じませんでした。でも、しばらくして伯母が専業主婦から働き出したことで家族ぐるみの交流がなくなり、次第に従姉も遊びに来なくなりました。だから、従姉が置かれた状況が大きく変わっていたことに気づかなかったんです」
【従姉は進学も就職もすることなく、家事と介護だけをする存在になっていた。次ページに続きます】