取材・文/ふじのあやこ
一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
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株式会社RASHISAでは、「虐待経験者の職場環境と就業状況に関するアンケート調査」(実施日:2024年3月8日~3月31日、有効回答数:虐待経験者であると自認している18歳以上の男女147人、インターネット調査)を実施。アンケートによると、全体の約3割は就業しておらず、正規雇用が約2割、非正規雇用が約3割という結果に。虐待経験者が後遺症として抱えやすい課題として、「自己評価が低い」79.6%、「人付き合いが不安」76.9%、「ストレス耐性が低い」76.9%などが多くの回答者に当てはまったという。
今回お話を伺った香織さん(仮名・46歳)は現在、実家で母親と娘との3人暮らしをしている。香織さんには実の父親に暴力を受けていた過去がある。
両親が別居していた原因は祖母
香織さんは3歳上に兄のいる4人家族。小さい頃は両親は離婚していないものの一緒には暮らしていなかった。父親はたまに家にフラッと来て、子どもと遊んで泊まることなく帰っていく。そんな暮らしをしていた頃の父親は優しかったと香織さんは振り返る。
「一緒に暮らしていなかったときは、父親というよりも、よく来る優しいおじさんという感じでした。兄がそのおじさんのことを『お父さん』と呼んでいたので、私も自然にそう呼ぶようになり、この人が父親なんだって思うようになったんです。親とは当たり前に一緒に暮らしていると思うんですけど、私が覚えている最初から父とは別々に暮らしていたので、そのことに特に違和感はなかった。これが普通なんだろうなと思っていました」
父親は香織さんたちが暮らす家から車で20分ほどの距離にあった祖母の家で暮らしていた。なぜ夫婦は別々で暮らしていたのか、その理由を母親から聞いたのは香織さんが小学生になってからだという。
「母と祖母の仲が悪かったようです。一時祖母宅で同居をしていて、そのときに祖母は母に対して暴言は当たり前で、手を出すこともあり、母親がその状況に我慢できなくなって離婚を申し出たところ、今の別居状態に落ち着いたと言います。
祖母の家には私は一切行ったことがありませんでした。兄は少しだけ祖母の家で暮らしていた記憶が残っているそうですが、私は産まれてなかったので。祖母の顔も、私は葬儀のときの写真で初めて見ました」
祖父は父親が若いときに亡くなっており、祖母は香織さんが小学生の頃に病気で亡くなった。祖母の葬儀での父方の親族の非常識な振る舞いを、ずっと嫌な記憶として残っていると香織さんは訴える。
「おそらく祖母が母のことを色々ダメだとか嘘をついていたんだと思います。それを鵜呑みにして、喪主の妻として働く母のことを父の親族は無視したり、葬儀の控室にあった母の私物を部屋から出したり、いじめみたいなことをしていました。確かに母は祖母が入院した後も一切お見舞いに行くこともなく、存在を無視していました。私たち子どもは祖母が入院していることさえ知らなかったほどです。でも、それは過去の母に対する祖母の行ないがあったから。それなのに一方の意見でしか判断せずに集団いじめのようなことをする父方の親族のことが、そのときからずっと大嫌いです。あれから一切連絡を取っていません」
【同居した父は以前の印象とは別人だった。次ページに続きます】