文/印南敦史

65歳で持ち家を手放し、75歳で愛猫を亡くし、母を亡くし、ひとり身で身寄りもなく、国民年金で年金額も少ない、ないない尽くしのわたし。傍から見たら不幸の条件が重なって見えるかもしれないが、強がりでもなんでもなく、実際は違う。毎日を機嫌よく暮らしている。(本書「はじめに わたしたちは、何も持たなくても、いつでもどこでも幸せになれる」より)

『70歳からの手ぶら暮らし』(松原惇子 著、SBクリエイティブ)の著者は、本書の冒頭にこう記している。続くのは、日本人は総じて不安を抱えた人が多いのではないかという指摘だ。

いわれてみればたしかに、お金があっても住む家があっても、不安を感じる人は少なくないだろう。体力が落ちたり血圧が上がったりすれば、もっと不安になるに違いない。ましてや誰しも、ひとりで迎えることになるかもしれない老後の不安からは逃れられない。

しかし、だからといって不安を抱えたまま人生を終わっていいのだろうか。著者はそんな疑問を投げかけている。そこで、あえて老後の明るいほうに焦点を当て、本書を書いたのだという。

ちなみにタイトルこそ「70歳からの」となっているが、書かれているのは精神論として誰にも共有できることなので、60代でも50代でも(性別に関係なく)共感できるはず。多少なりとも年齢を意識し始めているのであれば、なにかしら響くものがあるだろう。

たとえば、その「年齢」に関しても興味深い記述がある。40歳だという独身の新聞記者から取材を受けたときの話だ。40歳といえばまだまだ若く、希望に満ちあふれているはずだが、彼女は浮かない表情で「この先、どうしたらいいのか見えない。老後はどうなるのか。不安でいっぱいです」と漏らしたのだとか。

大企業に勤めていてそんなセリフが出るということは、派遣やパートで働く40代はもっと不安だろう。事実、そのあとも「働きたいが仕事がない」と嘆く40代女性に会ったのだそうだ。

40代の女性から「将来に夢も希望もない」と言われると、夢も希望もある70代のわたしとしては、何と言葉を返していいかわからなくなる。
40代の人とはあまりに年がかけ離れてしまい、時代の感覚が違うのかもしれないが、わたしは、どんな時代であっても、人間で生まれた以上、夢や希望を持ち続けるべきだという考えだ。
せっかく人間に生まれてきたのに、想像力を持って生きないのはもったいないことだ。(本書118ページより)

まったくの同感である。もっといえば、実年齢よりも大切なのは感じ方、考え方だということではないだろうか。

たとえば、もし余命宣告をされたとしたらどう感じるだろう? 多くの場合、絶望感に苛まれることになるように思う。ところが74歳のときに医師から、ちょっと変わったかたちで余命宣告をされたことが著者にはあるのだという。

特筆すべきは、そのとき感じたことだ。

先生が見ていたのは、メモではなく平均寿命が書いてある表だった。そして、先生は真顔で言った。
「74歳ということは……、女性の平均寿命は88歳として、残りの人生は、あと14年ですね」
わたしはそのとき、がんの宣告をうけた気がして、我に返った。忙しく動きまわっているうちに、そんな年齢になっていたのだ。先生、大事なことに気づかせてくださり、ありがとう。(本書130〜131ページより)

「がんの宣告をうけた気がした」にもかかわらず、著者は「大事なことに気づかせてくださり、ありがとう」という思いに行き着いたのだった。ここにこそ、残った時間をよりよく生きるための重要なポイントがある。

ちなみに医師は以下のように話を続けたというのだが、それを聞いた著者の思いがまた素晴らしい。

「74歳ということは……、あと、14年をどう生きるかってことですよ。薬を飲んで長生きしたいのか、体のことを忘れて、残りの人生を生きたいのか……。松原さん次第です」と言うではないか。
お見事! そういうことですよ。わたしは嬉しくて、小学生のように元気な声で、お礼を言うと、診察料260円を支払い、外に出た。ああ、なんて空気がおいしいのだろう。(本書130〜131ページより)

話を聞いて「余命14年か」と実感したとき、「そのつもりで、毎日を一生懸命生きないといけないな」という思いがよぎったというのだ。「些細な人間関係のことで悩んでいる暇などない」とも。

著者だけに限らず、老いに近づいているすべての人にとって重要なのは、こういった受け止め方ではないだろうか。それは「ポジティブ思考」ということばに置き換えられることが多いが、もっと自然に無理なく、目の前に映るさまざまなことを楽しんでしまうべきだということだ。

そう考えたほうが、なにかと気が楽ではないか? きっと、そのくらいでいいのだ。

『70歳からの手ぶら暮らし』
松原惇子 著
1430円
SBクリエイティブ

文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( ‎PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

 

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