退院から半年後に、妻は自宅で息を引き取る
妻は自分でトイレに行ける程度のリハビリには耐えられた。自宅に戻ってきたのは、退院後の余命が1か月だと知っていたからだ。
「コロナだったので、病院に入ってしまうと、誰にも会えずにそのまま死んでしまうことになる。カミさんはそれは絶対に嫌だと。そこで自宅での看取りを希望したんです。僕も最初は“カミさんとずっと一緒にいて、手を握ろう”と思っていたのですが、弱っていくカミさんを見ていられなかった。妻にはずっと次男が付き添っていました」
芳雄さんは両親の看取りを弟夫婦に任せていた。だから、ほぼ初めて、死にゆく人に向き合う経験をする。
「これが本当につらい。受け入れられない。それどころか、食事を食べたがらないカミさんにイライラしたり、トイレに時間がかかることにムカッとしたりして、自分の心の小ささにも耐えられなくなりました。外に行くにも、コロナでどこも開いていない。仕方がないからドライブに行ったのですが、気づくと8時間以上も走っていて、富山県にいたこともありました」
その日は車中泊をして、翌日に帰ってきたという。その間も、次男がずっと妻の世話をしていた。次男は動画の編集、翻訳、裁判がらみの調査の仕事など、雑多な仕事をしていて、妻の隣で作業をしながら、見守っていたのだという。
「次男に昔世話になったという、40代のフィリピン国籍の女性も通って来ていて、彼女がカミさんを風呂に入れていた。次男とは恋人でもなんでもなく、さらに、謝礼として金も渡していないと。私が彼女に金を渡そうとすると“いらないよ”と断られました。僕は次男のことを能力が低く、怠惰な男だと思っていたけれど、そうではなかった。それどころか、人に徳を積むという、すごいことをやっているんだと。そういう姿をカミさんに見せた次男は、超がつくほどの親孝行なんですよ」
女性は妻に寄り添い、時々笑わせていた。そんなこともあり、余命1か月の妻は半年も生きた。
「僕も戸惑っていたのは、最初の1か月くらい。やがて“病人のカミさん”にもなれてきて、死を受け入れることができるようになった。寝室も一緒にして、隣でカミさんの寝息を聞くことに幸せを感じていた。そして、今くらいの季節の冷え込む秋の早朝、何かおかしいと思って、隣を見ると、明らかに顔色がおかしい。生命の気配が感じられないんです。そこで触ると、もう冷たくなっていたんです」
その前日、妻は「楽しいなぁ」と呟いていた言葉が、最後の言葉だったという。
「コロナで葬式もできない。そこでまた次男がカミさんの友達に声をかけて、自宅でちょっとした送別会をしてくれた。カミさんが好きだった井上陽水の曲をかけて、花を飾ってね。それを準備してくれたのが、次男のボランティア仲間でした」
それからすぐ、次男は関西の自宅を引き払い、芳雄さんの近くにアパートを借り、妻の死から3年、毎日のように顔を出しに来るという。
「私が“もっとこうすればよかった”というグチを聞き、“母さんのあの寝息が聞きたい”と泣くと、“わかるよ”と言ってくれる。父親失格の私に、尽くしてくれる次男には感謝しかないです」
次男はその後、自治体の高齢者対策課と掛け合い、芳雄さんの自宅の一室を「高齢者の居場所」のような場として、提供するための手続きをしている。それは、2025年問題を踏まえ、高齢者同士の支え合いの場所を作るためだという。
親が望む人生を歩み、成功するのも親孝行だが、社会全体のために活動する姿を見せるのもまた、親孝行なのかもしれない。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。