「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。親を旅行や食事に連れて行くことが親孝行だと言われているが、本当にそうなのだろうか。
国民の5人に1人が「後期高齢者(75歳以上)」になる「2025年問題」のカウントダウンが始まっている。この「2025年問題」とは現役世代への負担増、生産人口の減少など、人口構造の変化で起こる困難や損失の総称だ。
日本は本格的に、超高齢化社会になる。高齢者が多いということは、多死社会でもある。そこで注目されているのは、グリーフケアだ。これは、大切な人と死別し、悲観した人に寄り添う心のケアのことをいう。
東京近郊で一人暮らしをしている芳雄さん(74歳)は3年前に、妻(享年75歳)をがんで亡くした。「家に帰りたいというカミさんの望みをかなえてやりたくて、自宅看取りをした。次男(46歳)がいなければ後を追っていた」と語る。
【これまでの経緯は前編で】
優秀な長男と「できそこない」の次男
定年後の穏やかな生活は10年以上続いた。それまでの夫婦の時間を埋めるように、芳雄さんと妻は共に行動し、満たされた毎日を過ごしていた。ところが、2020年のある日、妻は「腰が痛い」と言い出した。
「病院に行けと言ったのに、行かない。“私は看護師だったから、病気になればわかる”と言うんです。医療の現場に立ち続けていたからか、カミさんは病院が大嫌いでした。それに、当時、コロナの影響もあった。気軽に病院に行けない雰囲気があり、自宅で様子を見ることにしたんです」
もし入院してしまったら、コロナの影響もあり、家には容易に帰れない。それに、病院に行くにしても、新規の患者は受け付けていない。
「あのときは、父から事業を引き継いだ弟が、仕事関連の裁判を抱えていた。弟から“裁判所も閉鎖した”と連絡があったんです。これはやばいぞと。同い年のコメディアン・志村けんさんが亡くなった報道もあり、これは本格的だと。カミさんは調子が悪いと言いながらも、掃除をしたり、料理をしたりしている。まだいいかな、と思っていました」
それから1か月、妻の体重は落ちていき、痛みにうめくことも増えた。見かねた芳雄さんは救急車を呼ぶ。
「カミさんに伝えると“私のような元気な人が救急車のお世話になっては申し訳ない”などと言うから、内緒で呼んだ。受け入れ先が決まらず、2時間くらい待って、担ぎ込まれた病院で婦人科系統のがんの疑いがあると言われました」
検査の結果、がんは末期の状態になっていて、すぐ手術となった。手術は成功し、入院とリハビリを経て、半年後に妻は帰ってきた。
「びっくりするくらい痩せて、“あ〜家は本当にいいわ”としみじみと言う。妻が救急車で運ばれたことを、海外にいる長男と、関西に住んでいた次男に連絡すると、次男はすぐにウチに戻ってきてくれた。オンラインで医師や医療ソーシャルワーカーと面談し、入院やリハビリ病院の手配などもやってくれたんです」
芳雄さんは、次男のことが昔から苦手だったという。
「長男は一流企業に入り、海外赴任もしていて、結婚して子供も2人いる。私はいつも長男を自慢していました。次男は単なるプータロー。一度も定職についたことがありませんから、カミさんが倒れるまで“できそこない”扱い。だって、定職もなく、女の家をフラフラしている時期もあった。実家に帰ってくるのは金の無心のときだけ。カミさんは下の子のほうが可愛いから、ちょいちょいお金をあげていたみたいですけどね」
芳雄さんと次男は距離がある。いつからそうなったのだろうか。
「次男が高校時代に阪神淡路大震災があり、そのボランティアに行くと言ったことです。当時、出席日数ギリギリなのに、学校を10日間も休んで、人を助けたいと。卒業できないことがわかっているのに、行くという。どうにも言うことを聞かないので、初めて“ふざけんな”ってぶん殴りました。あれにはさすがのカミさんも“自分の勉強をしなさい”と怒っていました」
【弱っていく妻が見ていられず、8時間のドライブ……次のページに続きます】