「楽しくてたまらない」ことしか、続かない

そして、25歳のときに、一大決心をして美容師になる。

「300万円くらい貯まったので、専門学校に入りました。10代の子と机を並べて、公衆衛生、皮膚や髪について勉強し、毛染め剤の調合割合を計算する。マネキンの髪を切り、そこらの人を捕まえて、髪を切らせてもらう。それが楽しくてたまらなかった。なんでもそうだけど、“楽しくてたまらない”こと以外は続かない。2年間で卒業し、5年間有名な美容院に勤務してから独立しました」

築地にサロンを開いたのは1980年代初頭。築地は銀座に近い。バブル前夜の銀座は、行商の花売りが行き交い、夜にはラーメンやうどんの屋台が出るのんびりした街だったという。

「うちのサロンは、地元密着型。廃業するオーナーから居抜きで引き継いだ店だから、自分の色を出すわけにはいかなかった。でもそれが性に合っていたんですよね。昼は近所の主婦や学生さんが髪を切りに来て、夕方からヘアセットが主な仕事。年末と正月、成人式には着付けの人を雇って、毎日、目まぐるしく働いていた。朝5時に家を出て、終電が終わって帰ることも。寒い日に原付に乗って家まで帰るのが辛かったね」

34歳のときに、美容学校の同級生と結婚する。妻は学校を中退し、アパレル関連会社に勤務していた。

「7年ほどくっついたり離れたりしていて結婚しました。たくさんガールフレンドがいましたが、カミさんは性格と数字に明るい。店の経理を任せられるし、貯金もうまい。信頼できるんです。すぐに息子も生まれて、毎日が楽しかったな」

とはいえ、仕事中心の人生だ。45歳くらいまで、毎日が目まぐるしく、ほとんど記憶がないという。

「息子のことはカミさん任せ。でも、勉強のことはうるさく言っていたな。社会に出て、大学卒であることは絶対に大切だと思ったんです。息子が生まれたとき、この子は大学を出し、会社員にしようと目標を立てた。それに息子はぼんやりした子で、何が得意なんだかさっぱりわからなかったこともある。僕は得意なことに巡り会って職業にできたけれど、“仕事をしなければお金をもらえない”という職人人生。やばい橋を渡ったこともあったし、頭下げて、セクハラされて、泥水をすするような思いもしたことがあった。息子にはそういうことをさせたくなかった。それで塾だなんだと金を出して大学まで入れたのに、大学を辞めて料理人になるという。あのときはぶん殴ってやりましたよ。あんなに怒ったのは、生まれて初めてです」

【息子との和解は、妻の死を経てから10年後……その2に続きます】

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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