父親の気配が家から完全に消えて、母親は綺麗になった
瑠璃子さんが高校生になる頃には、兄は独立しており、家は母親と瑠璃子さんの2人、対、父親1人という構図ができていた。
「父親とは家で顔を合わせても挨拶もしない状態にまでなりました。私も、母親も。その状態が続いた後に両親が離婚すると聞かされたので悲しくはなかったです。やっと……といった気持ちでした。
父親は離婚成立前に家を出ていっており、離婚成立後もそのまま実家の一軒家で母親との2人暮らしが続きました」
離婚時には瑠璃子さんは20歳を超えていたため養育費はなかった。しかし母親も仕事をしており、経済的に困窮することはなかったという。
「離婚する前から父親は家を出てはいたものの、家には父親の部屋があり、父親の私物もたくさん残っていました。だから父親の気配を感じることも多かったんです。でも、それも離婚ですべてなくなった。父親の気配を一切感じることのない生活は快適そのものでした。
大学のお金については、母親は『お母さんの貯えがあるから大丈夫』と言ってくれていたから、安心できていました」
母親は離婚後は毎日が楽しそうで、綺麗になっていった。
「離婚するまでずっと母親は父親の悪口を言い続けていたので、それだけストレスを感じていたんだと思います。解放されて、母親は毎日生き生きしていて、綺麗になっていったんです。身につけるものにもお金をかけるようになり、うちにそんなお金がどこにあったんだろうと思いました。でもその疑問も、もしや父親に牛耳られていたお金が自由になったのかなって、私の思考はすべて母親寄りになっていました」
離婚から2年も経たないうちに母親は再婚した。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。