取材・文/ふじのあやこ

写真はイメージです。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。

厚生労働省がビールロング缶1本のアルコール摂取でも大腸がんの発症リスクが高まるなどとするガイドラインを2月19日に発表した。国内では、生活習慣病のリスクを高める量は、1日当たりの純アルコール摂取量が男性 40g以上、女性 20g以上とされている。

内閣府が発表した「アルコール依存症に対する意識に関する世論調査(令和5年7月調査)」を見ると、アルコール依存症またはアルコール依存症者についてどのようなイメージを持っているか聞いたところ、「誰でもなりうる病気である」を挙げた者の割合が54.2%、「酒に酔って暴言を吐き、暴力を振るう」を挙げた者の割合が51.7%と高く、全体の2.8%だったが「お酒に強い人は、アルコール依存症にはなりにくい」というイメージを持っている者もいた。

今回お話を伺った美樹さん(仮名・43歳)は、父親がアルコール依存傾向となり、それが原因で両親は離婚している。「父はお酒に依存する前からお酒が好きで、強かった。結局、父は最後までお酒を止めませんでした」

父親のお酒の量は祖母が亡くなった後に一気に増えていった

美樹さんは大阪府出身で、両親との3人家族。父親はサラリーマン、母親は専業主婦で、実家は父方の祖父母の土地に建てられていた一軒家。父方の祖父が亡くなってからは祖母と同居するようになったが、家族3人の仲は美樹さんが学生時代はよかったと振り返る。

「祖母が一人になってからしばらくは近所にある祖母の家まで母親がずっと一人でお世話をしに行っていたんですが、そのときのほうが両親の仲は悪かったですね。母親が祖母に対する愚痴を父親に言い続けて、そこからよく言い合いになっていました。でも、祖母と同居することになってからは、父親や私も祖母の世話を母と一緒にするようになって、母親の愚痴は減りました。

祖母がいたときは父親も早く帰って来ていて、両親は一緒に晩酌をするなど、仲良くやっている印象でした」

祖母は美樹さんが社会人2年目のときに亡くなった。そこから父親は早く帰って来ることが減り、飲み歩くようになっていったという。

「父親が飲み歩くようになったのには、祖母が亡くなった寂しさもあったと思います。元々お酒が大好きだったけれど、何かあったときにはよくお酒に逃げるところが父にはありました。父には兄がいたんですが、私が小学生の頃に病気で亡くなってしまって、そのときもしばらくお酒を毎日大量に飲んでいましたから」

家にいるときも父親は一人でお酒を飲むようになり、徐々に母親との会話もなくなっていった。母親が用意した料理にも手を付けず、一人で黙々とお酒だけを飲み続けるようになっていき、それが両親の不仲のきっかけだった。

「父親はお酒が強かったこともあり、酔っ払って暴力を振るったり、陽気になりすぎてうるさいといったようになることはなく、黙々と一人で永遠に飲み続けるだけでした。だから、私は特に気にしていなかったんです。冷蔵庫の1段には父親のお酒がぎっしりと入っていても、それが普通だと思っていました。

でも、母親は、用意したご飯も食べてくれず、会話がなくなったりすることに徐々に我慢できないようになっていったみたいです」

【母親はお酒を止めない父親を見限る。次ページに続きます】

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