決して、人生「順風満帆」とは行かぬものです。若い頃と違って、壮年期を過ぎてからの不幸な出来事や災難は、精神的にも大きなダメージとなります。
そんな時でも、顔を上げ、前に進まなければならないのが人生ではないでしょうか? 何気ない友人や知人が掛けてくれた言葉が、深く傷を負った心を癒し、勇気づけてくれる場合もございます。また、先人が残した言葉を紐解けば、幾つもの教訓や悟りが残されており光明となることもあります。
そんな言葉の一つとなることを願い、第25回の座右の銘にしたい言葉は「晴耕雨読(せいこううどく)」です。
目次
「晴耕雨読」の意味
「晴耕雨読」の由来
「晴耕雨読」を座右の銘としてスピーチするなら
まとめ
「晴耕雨読」の意味
「晴耕雨読」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家にこもって読書をすること。悠々自適の生活を送ることをいう。」とあります。
読んで字のごとく、晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書をするという意味です。この言葉は、自然のリズムに従って生活することの大切さを教えてくれます。現代社会の忙しさやストレスから解放され、心の安らぎを得るためのヒントとなる言葉です。
「晴耕雨読」の由来
「晴耕雨読」という言葉は、三国時代の諸葛亮(しょかつりょう)が軍師として蜀軍に仕える以前、荊州(けいしゅう)で書生として生活していた頃の暮らしぶりを、形容する表現としてよく用いられています。
これは「大きなことをやり遂げるためには知識と体力が必要だ。そのために、晴れた日には体を動かして健康を維持しよう。雨の日に無理をして外で活動すると、体調を崩すことになる。いざという時のために、本を読んで勉強し、知識を蓄えよう」という諸葛亮の考え方です。
見方を変えれば、「このような日々の積み重ねが、チャンス到来の時に大きな力を発揮するので、準備を怠らないでいよう」といった意味と捉えることもできます。しかし、四字熟語としての出典は明らかではありません。
「晴耕雨読」は単なる自然との調和を示す言葉だけではなく、バランスの取れた生活を送るための知恵でもあります。晴れの日には体を動かし、自然の中で働くことによって心身の健康を保ち、雨の日には静かに読書を楽しむことで知識や教養を深めることができます。このバランスが、現代社会においても重要です。
また、「晴耕雨読」の精神は、過度な競争やプレッシャーから解放され、自分自身のペースで生活することの大切さを教えてくれます。忙しい日常の中で、時には立ち止まり、自分自身を見つめ直す時間を持つことが、長期的な成功や幸福につながるのです。
「晴耕雨読」を座右の銘としてスピーチするなら
この言葉がどのような意味を持つのかを伝えることで、聞き手に心のもちようを考えるきっかけを与えることができます。以下に「晴耕雨読」を取り入れたスピーチの例をあげます。
自然のリズムに従うことの大切さを説くスピーチ例
今日は私の座右の銘「晴耕雨読」について、お話しさせていただきます。「晴耕雨読」という言葉をご存知でしょうか。晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書をするという意味のこの言葉は、自然のリズムに従って生活することの大切さを教えてくれます。
現代社会は非常に忙しく、私たちはしばしば時間に追われています。しかし、時には立ち止まり、自分自身と向き合う時間を持つことが大切です。晴れた日には外で体を動かし、自然の中でリフレッシュすること。雨の日には静かに本を読み、知識や教養を深めること。このバランスが、私たちの心と体の健康を保つ秘訣です。
「晴耕雨読」の精神を持つことで、私たちは過度な競争やプレッシャーから解放され、自分自身のペースで生活することができます。これこそが、長期的な成功や幸福につながる道だと私は信じています。
皆さんも、ぜひ「晴耕雨読」を座右の銘にして、日々の生活に取り入れてみてください。きっと新たな発見や気づきがあることでしょう。
まとめ
晴耕雨読は、シンプルながらも深い意味を持つ言葉です。この言葉を座右の銘にすることで、現代の忙しい生活から解放され、心の豊かさを追求することができます。この記事を通じて、晴耕雨読の素晴らしさを再認識し、日常生活に取り入れることで、より豊かで充実した人生を送るヒントとなれば幸いです。
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com