生まれ育った街へ、恩返しがしたい
妻を看取った都心のマンションは、子供たちと3人で住んでいる。しかし、妻の思い出が濃厚に残る空間で生活するのは辛かった。
「そこで、生まれ育った実家に行くようになりました。都心から電車で40分なのですが、父が亡くなり、母が介護施設に入ってから、ほとんど顔を出さなかった。妹がたまに通水したり、窓を開けたりしてくれていたのですが、荒れていましたね」
誰が使うでもない実家のメンテナンスをしつつ、そこから通勤をして定年の日を迎えた。
「妻が死んでから、無気力になって雇用延長もしませんでした。無気力になり、死に飲み込まれそうになると、実家の庭の手入れをするんです。土をいじっていると元気になるんですよ。草むしりをしていると、“周ちゃん?”と声をかけられた。彼女は中学校の同級生で、生徒会を一緒にやっていたんです」
彼女が同級生を集めて飲み会をするうちに、生まれ育った街の人のつながりが希薄になっており、少子高齢化が加速する現実に直面する。
「江戸初期からの歴史がある神社の神主さんはいつの間にかいなくなり、まとめる人がいないから、盆踊りも何年もやっていない。街全体の空気が澱んでおり、事故物件のサイトを見ると、孤独死する人が多いこともわかりました。地元の同級生と交流するうちに、“なんとかしないと”と思うようになったんです。私は定年退職するまで縁もゆかりもない街の都市開発の仕事をしていたのだから、地元の街に貢献しなくてはという使命感も芽生えました」
そこで周平さんが赴いたのは、地域の自治会長の家。消滅していたと思っていたが、自治会が存続していることがわかった。回覧板や掲示板の文化も残っていたという。
「月300円の自治会費を納める住民が70人もいたのですが、70〜80代ばかり。自治会長は80代の男性で、かつて私が都市開発の現場に立っていたとき、心の中で“殿”と呼んでいたタイプの人。利他的な思考をするところに好感を持ちました。彼をサポートする活動から始めたのです」
自治会の中心メンバーは10人おり、彼らは月に2回の会合をしていた。そこに自営業の同級生数人と頻繁に顔を出し、名簿の整理、会員への声がけ、新規会員の勧誘などを手分けして行った。
「自治体が孤独死予防のセーフティネットみたいになっていました。それでは若い世代が興味を持たないので、まずは神社の初詣時の篝火と夜警の復活から始めました。そして、自治会主催の子供まつりの10年ぶりの開催を決意。これは保健所や寄付金を集めるなど、半年かけて準備しました。そして翌年には盆踊りを開催。子供時代の私たちが楽しみにしていた時間を再生させるような気持ちで取り組んだのです。みんなが笑顔になり、私も楽しかった。そんな活動をするうちに、妻の死を乗り越え、生き甲斐も生まれていきました」
新しい住民も最初は自治会に対して、「めんどくさい」という忌避反応を示す人も多かったが、イベントへの参加や、声がけを続けるうちに、会員も増えていった。
「5年間で会員も倍増し、まとまった余剰金もあったので、神社の改修を行うことにしました。そのとき、自治会長から“あなたに私の跡目を継いで欲しい”とご指名を受け、満場一致で会長になりました。妻がいたら、プライベートの時間が欲しいので、受けなかったんでしょうね」
今、周平さんは都心の自宅にときどき戻りつつも、基本的に実家で生活している。それは、妻の死の心の傷が癒えていないこともあるが、生まれ育った街への愛着があるからだ。街は人が作っていく。今、多くの街で住民同士のつながりが薄くなり、人は住んでいても文化が継承されない問題が起こっている。
周平さんのように、定年後の人生を地域貢献のために使うというのも一つの選択肢かもしれない。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。