孫が「あんこ大好き」と言った時に思ったこと
長女は保育園時代は突然泣き出すこともあった。不登校になりかけたこともあったという。
「驚いたのは、小学校6年生のとき。木工ばさみで自分の髪の毛を衝動的に切ってしまったことがあったんです。カミさんは“いつものヒステリー”と言っていましたが、僕はどうしても気になっちゃって、夜“コンビニに行こう”と散歩をしたことがありました」
当時、長女は学校でいじめられていた。それを恥ずかしくて親に言えなかったのだと告白した。辰夫さんは「明日から学校に行かなくていいよ。それに、そんな奴らと同じ中学校に行くことはない」と言い、別の中学校に進学する話をしたという。
「長女は猛勉強して大学附属の私立中学校に進学しました。僕が“お金のことは心配しなくていい”と言ったことも大きかったようです。まあ、長女はその後も不安定なことがあったのですが、“何事も、やるかやらないかは自分次第”と言いました。僕自身が親に流されて和菓子屋を継いでしまい、親の意のままに生きる人生が苦しくなったことと、長女の思春期が重なったんです」
長女はそんな父の気持ちをわかっていた。次女は陽気で妻とウマが合ったが、思慮深い長女は父の抱える屈託に気づいていたのだ。
妻が亡くなった後、1年ほど長女は孫を連れて辰夫さんの自宅に来た。長女は朝、子供たちを保育園に送り、自分はフルタイムの仕事を終え、保育園に迎えに行き、辰夫さんの家に来て夕食を共にする。
「帰った後に、遅くに帰ってくる婿さんのご飯を作るって。どんだけ忙しいんだと。長女にいい加減にしないと体を壊すぞ、と言ったんです。そうしたら長女は“和菓子屋の方が忙しいよ。辛い時もあるけど、お父さんとお母さんが暗いうちから起きて、あんこ作ってた姿を思い出して、私も頑張ろうって思う”と言ってくれたんです。その時になんかね、僕の人生も捨てたもんじゃないな、って」
長女にとっては、父親が妻の死去に落ち込んでいるから、心配して起こした行動だったのだろう。
「それが親孝行なんですよ。僕は家事もできるし、お金の管理もできる。体も自由に動くから、次女ではないけど、“私は忙しい”ってほっぽらかすことだってできる。長女は近所とはいえ、わざわざ遠回りしてウチに来て、顔を見せてくれた。それが一番なんですよ」
妻の死去から数年が経ち、当時幼かった孫は小学校の高学年になっているという。
「2人とも少年野球をやっているんですよ。2人とも和菓子が好きで、コンビニで大福とか草餅とか買うんだって。店をたたんだ理由の一つは、“こんなに安く旨い和菓子ができる時代になったのだから、僕の役割は終わった”と思ったことも大きかったですよね」
店を閉めてから、辰夫さんはあんこを炊いたことがなかった。でも、孫のためにやってみようという気持ちになり、おはぎを作ってみたという。
「家と店とでは勝手が違うんだけど、まあまあなものができた。娘のところに持って行くと、孫たちが“おじいちゃんのあんこ、大好き”と食べてくれたんです。それが嬉しかった。一つの時代が終わったというと、大げさだけど、なんかスッキリしたんですよ」
今、多くの家族は、お互いに迷惑をかけず、自由に生きることができるという恩恵もあるが、世代間の分断が伴うことがある。人は「生きてきた証」を得たいと思ってしまうところがあるのではないだろうか。それは、自らの生きてきた道を、下の世代になんらかの形で継承することも含まれる。それを行うこともまた、親孝行なのだ。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。