息子の小学校受験は不合格だった
卒業後、聡志さんは超大手企業に勤務する。
「僕が育った時代は、戦後の貧しさが根深く残る時代で、“こすっからい”人が多かった。しかし、僕はそうではなかったし、他人と自分との間に境界線を引いていた。今思えば、そういう性格が上流コミュニティの同級生に気に入られたのかもしれないね。20歳の時に彼女ができて、その女性とは結婚するような流れができていた。彼女のお父さんにゴルフに連れて行ってもらったこともあった」
25歳まで交際が続いていたけれど、彼女は別の男性と不倫の恋をし、駆け落ちしてしまう。
「あれはショックでしたね。こっちは最初に触れた女性だし、結婚するものだと思っていたのに。結局、その別れから2年後に、私は別の同級生と結婚。それが1年半前に亡くなった妻です。妻は、コンプレックスの塊で、何が何でも息子を母校に入れようとした。0歳のときからモーツアルトを聞かせ、ピアノ、バイオリン、英語を学ばせた。しかし、母校の小学校受験は不合格だった」
荒れる母親を見て、当時6歳の息子は「お母さん、僕がバカでゴメンね」と泣いていたという。
「こっちは仕事で忙しいし、家に帰れば妻が“お受験”とやらに血道をあげている。浮気こそしなかったけれど、帰りたい家ではなくて、さらに仕事に没頭した。そうこうしているうちに、息子は母校の中学校に合格。あのときは、本人も僕も妻も本当にうれしかった。妻の実家から300万円の祝い金が届いたことでも、その喜びはわかると思う」
息子は、妻の繭にくるまれるようにして、妻が選んだ友達と遊び、“一卵性”とも言えるような関係を築いていた。
「あの雰囲気が苦手でね。完全に息子は牙を抜かれていたと思う。でもいわゆるお坊ちゃんではなく、自分の意見をしっかり持っているし、頭もいい。中学校に入ってからは友人もでき、高校、大学と優秀な成績で卒業。大手の商社に入った時は、ホッと胸をなでおろした。妻も息子を中学校に入学させてからは、仕事を再開。息子の留学先(英国)に遊びに行ったりして、なかなかいい関係を続けていた」
【初恋をしてから息子はおかしくなっていった……後編に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)がある。『女性セブン』(小学館)などに寄稿している。