引退後に、何もしないでいることに後ろめたい気持ちになるというのは、多くの人が思うところ。生きがいを持つことを推奨されるあまりに、「何かしないと!」と義務のように追い詰められてしまっては意味がありません。
新しい仕事、ボランティア、趣味を極める、人付き合いを楽しむなど、人生の後期をアクティブに過ごすべきというのはもちろん良いことです。しかし、良いことも度を越すと生活を慌ただしくするだけで、引退生活ならではの充足感からは遠のいてしまいます。
“忙しいことは善いことだ”症候群とは
今回は、引退者が陥りやすい“アクティブなのは善いことだ”という価値観の弊害について、米国カリフォルニア州立大学・心理学部教授のケネス・S・シュルツ氏監修の『リタイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』(日経ナショナル ジオグラフィック社)を参考に、お伝えしていきましょう。
さて、あなたは“忙しいことは善いことだ”症候群に陥っていませんか? ちょっとチェックしてみましょう。
□ ゆっくりできる時間が少なく、体力的にも辛いと感じることがある。
□ 夜や早朝にも何かと予定が入って生活が不規則になりがち。食事も適当に済ませることがある。
□ 頼まれ仕事や、趣味サークルのまとめ役の仕事など、何かと任される事が多い。
□ 「〜しなければならない」と責任感からストレスを感じることがある。不安やイライラで家族に八つ当たりしたことがある。
□ 孫が遊びに来ていても、電話が来て長い時間、話をしなければならないということがある。
いかがですか? 心当たりありませんか?
“アクティブなのは善いことだ”症候群を招く原因
社会学者デビッド・エカートによれば、“アクティブなのは善いことだ”症候群を招く原因として次の3つを指摘しています。
まず「引退者自身」が、何をしているかよりもいかに忙しいかを重視してしまうこと。第二には「友人など周りの人」が引退した人に「何をしているか」を頻繁に訊ね、「忙しいのはいいことだ」と印象づけること。最後は「社会」が高齢者の消費を促すべく「活動的であること」を奨励することです。
真面目であればあるほど、この古典的な“アクティブなのは善いことだ”という考えが、引退後の生活に影響してきます。
アクティブに忙しく過ごすのは、もちろん悪いことではないものの、“そうしなければならないものではない”ということも、念頭に置くべきです。何より大切なのは自分の価値感で生きることであって、社会や周りの人の価値感に協調する必要はないのです。
【参考文献】
『リタイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』
(S・シュルツ監修、藤井留美 訳、日経ナショナル ジオグラフィック社)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/product/16/010500050/
文/庄司真紀