5年前に息子は結婚するが……
結局、別居は20年ほど続けたという。
「僕が55歳のときに、離婚しました。向こうは慰謝料だ何だと言っていましたが、“弁護士に頼もうか”と言ったら黙りました。妻には恋人のような人がいましたし、そのことを知っていましたから。まあ揉めるのも嫌なので、マンションを手切れ金代わりにあげました。妻は最後まで不思議な人だった。でも、僕にとって、息子との絆と、時間を自由に使える人生をくれたので、いい妻だと思うようにしています」
息子は結局、内部進学はせず、別の理系の大学に入学し、大手機械メーカーでエンジニアとして働いている。
「アメリカやドイツへの出張が多く、大変そうだけど生き甲斐を持って働いていることがすでに親孝行。離婚したのも、息子が社員寮に入ったことも大きい。出世も先が見えましたしね。そして、55歳から一人暮らしです」
首都圏から電車で30分以内の駅前にある、40平米のマンションを購入した。住み心地は最高だと言う。
「実は、今付き合っている恋人がこのマンションに住んでいるから、ここを買ったんです。彼女は上層のもっと広い部屋で、ご主人が亡くなってから一人暮らしをしています。彼女は僕の1歳年上で、時々夕飯を食べたり、旅行に行ったりする間柄です」
恋人と和夫さんの関係は長く、20年以上になるという。
「別居したばかりのときに、僕がストレスからじんましんを発症し、大きな病院に行ったんです。そこで名前を呼ばれ、振り返ると彼女がいた。彼女も二部の学生で、同じクラスだった。何度かデートをした仲でした」
再開当時、彼女はげっそりとやつれていた。夫が急性白血病を発症し、治療中だが望みがないことがわかっていたからだ。和夫さんと再会したとき、彼女は差し入れに行った帰りだったと言う。夫は無菌室で抗がん剤による治療を受けており、ガラス越しにしか顔を見られなかった。急性白血病は進行が早い。夫はめまいや疲れなどを体調不良だと軽視して無理を重ねていたという。
「あっという間にご主人が亡くなって、いろいろ話を聞いているうちに、恋人のような関係になりました。息子には当然、紹介しています。ときどき、掃除や料理をしに来て、ボタンをつけたりしてくれましたから」
和夫さんは、息子を自立させた後、彼女といい距離感を保った穏やかな交際を続けている。
「まあ、結婚に夢も希望もないので、息子には何も言わなかった。5年前に“この人と結婚します”と女性を連れてきた。結婚式をするというので、元妻をどうするのかな、とすぐに考えてしまった。息子は意外と保守的というか、元妻の影響もあるのか、とても体面を重んじる。おそらく元妻に声をかけるのだろうなと」
しかし、息子は元妻を結婚式には呼ばなかった。「僕を育ててくれた尊敬するお父さんです」と紹介した。不登校時代のこと、山登りをしながら息子に話した内容、高校3年間、和夫さんが作り続けた弁当のことなどを、感謝する手紙を読み上げた。
「僕にとって、それらは親として普通にすべきこと。だから、感謝されているとは全く思わず、言葉を聞いて号泣してしまった。さらに、恩師と同じ席に僕の彼女を呼んでいるのは知っていましたが、まさか彼女を壇上に呼び、“お父さんの大切な人です。これからも仲良く暮らしてください”と紹介したんですよ。二人で手を取り合って泣きました。結局、親孝行って、そういうことなんですよ。自分で道を切り開くこと、そして自分を大切に思う人の心に寄り添う人に成長すること。その姿を親に見せることが、最高の親孝行なんです」
モノよりもコトの時代と言われて久しいが、コトよりも「ココロ(心)」の時代になっている。自分にも他人にも誠実に生きることの積み重ねの先に、これからの時代の親孝行はあるのかもしれない。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。