名門中学校に合格した息子は、すぐに不登校になる
学歴や勤務先など社会的地位にこだわる妻との夫婦仲はしっくりこなかった。しかし、一緒に生活していれば、コミュニケーションは生まれる。結婚3年目に息子ができ、夫婦関係は改善するかと思ったが、そうはならなかった。
「僕もちょっとひねくれていたから、子供が生まれて嬉しいのに、相手に対してツンケンした態度をとってしまったんです。妻は、息子に対しては恐ろしいほどの教育ママっぷりを発揮していました。幼い頃から、ピアノ、スイミング、英語教室と通わせて、有名私立大学付属の小学校を受験するも不合格でした」
妻は「不合格なのは、あなたの学歴が低いから」と和夫さんをなじった。
「その後、僕もカッとなって夫婦げんかに発展。息子が“僕のせいでごめんなさい。僕がバカでごめんなさい”と泣いている声を聞き、ハッと我に還りました。そしてとっさに息子を抱きしめていた。僕にとって、息子は宝です。とにかく生きていてくれればそれでいい。息子に、“洋司(息子)は、そのままでいいんだ。お父さんは洋司が大好きだ”とことあるごとに言っていました。自分が親にやってもらえないことを、息子にしていたんです」
一方、妻は「公立小学校なんて恥ずかしくて通わせられない」などと言っていた。
「妻が生きてきた世界の価値観です。役員の親戚の女だというから飛びついて結婚してしまいましたが、そもそも世界が違ったんです。それに、高卒入社の僕と見合いをするくらいだから、問題もあったんだと思いますよ。当時、結婚するのが当たり前だったので、体よく押し付けられたとも言えます。価値観が違うから、夫婦関係は悪くなっていき、自然に家庭内別居になっていった。うちの会社は、離婚すると評価が下がるので、一緒に暮らしていましたが」
妻は相変わらず息子の教育に力を入れていた。和夫さんは仕事から帰ると、息子の部屋に行き、“頑張っているな”と励まし、日曜日に遊びに行く話をしていたという。
「本来なら、休日はゴルフに行き、出世の画策をしなくちゃいけないんでしょうけど、僕は息子との時間を優先した。息子もそういう息抜きがあったから、妻の望み通りの私立中学校に合格したのです」
しかし、その学校もすぐに行かなくなってしまったという。
「息子が入った学校は、もともと頭がよく、裕福な家の子供が集まるところなんです。だから、息子のように“頑張って”入った子は、授業についていけない。その学校に自然に合格する子と、無理して引っかかる子では、学力が違うんです。登校拒否になってしまった息子に妻はヒステリックに当たり散らし、強引に学校に連れて行こうとしていましたが、私はそれを止めていました」
【別居のとき、「お父さんについていく」と言った息子からの最大の親孝行とは……その2に続きます】