取材・文/ふじのあやこ

写真はイメージです。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。

児童相談所による児童虐待相談対応件数は年々増加を続けており、平成4年度の速報値では、219170件(前年比+5.5%・11510件増)となっている。しかし、相談に至った数だけではなく、誰にも相談できずに虐待に耐え忍んで大人になった人たちがいる。この人たちは「虐待サバイバー」と言われ、大人になった今も心身ともにさまざまな後遺症に悩んでいることも多い。

今回お話を伺った千尋さん(仮名・42歳)は小さい頃に母子家庭で育ち、大人になって振り返ったときに「あれも虐待だったんだとわかりました」という。

小さな菓子パンが入った袋1つが1日の食事だった

千尋さんは東京都出身で、母親との2人家族。たまに家に来る父親と思われる存在はいたが、千尋さんは私生児(非嫡出子)。母親は父親のいわゆる愛人という存在で、父親には別に家族があったという。

「小さい頃は父親だという考えはまったくなく、たまにおいしいご飯やお菓子をくれるおじさんという印象しかありませんでした。そのおじさんが父親だとわかったのは、実家を出る直前の18歳のときです。

父親とわかったときはある程度大人だったので意外とすんなりと飲み込めましたね」

母親から小さい頃に受けていた虐待で一番辛かったものを聞くと、「食べ物を満足に与えてもらえていなかったこと」と千尋さんは答える。

「袋に小さな菓子パンがたくさん入ったものを1週間に1つ与えられていました。月曜日の朝になると無造作にテーブルの上にそれが置いてあるんです。家に食べ物があったときにはそれらを食べることもができましたが、ないときが多かったですね。

小学校は給食があったので、学校があるときは耐えられたのですが、夏休みなどの大型連休は空腹との戦いでした。今のように猛暑ではなくクーラーをつけなくてもギリギリ我慢できる暑さではあったものの、暑い中で空腹を水道水でやり過ごしていました。起きていたらお腹が空くからずっと横になっていました」

10歳を過ぎる頃、父親とは別の男性が家に来るようになった。母親はそのぐらいの時期から精神的に不安定になり、男性の存在がなくなると千尋さんに固執していったという。

「中学は部活に入ることが義務だったので私はダンス部に所属していて、部活が終わっても友達といるのが楽しくて、遅くまで公園で踊ったりしていたんです。私の帰りが遅くなったときには、家に入った途端に母親から手をあげられ、晩ご飯は用意してもらえませんでした。でも、付き合っている男性がいると私が遅く帰っても何をしても母親は怒りません。だから、私は自分を守るために母親の異性事情を逐一気にしていました。男性の気配がないと感じたときには早く帰るようにしたりして、調整していたんです」

【「仕事を辞められないのはお前のせい」が母親の口癖。次ページに続きます】

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