美貌がなければ、もっとマシな人生だった

娘の写真を見せていただくと、45歳だというが、年齢がわからない。整った顔立ちをしていて、肉感的な体つきをしている。そして黒のレースを多用した独自の美意識が伝わる服を着ているので、35歳と言われればそう見えるし、50歳と言われれば、そうかと思ってしまう。

「昔はかわいかったんですよ。あの子がフラフラ生きてこれたのは、容姿がそれなりに整っていたから。私のように“かわいくない”顔だったら、食べていけないからもっと努力をしたと思うんです。今の時代もそうですが、“若くてかわいい女の子”にお金を与えて甘やかす男は一定数いる。ウチの娘はそういう男たちを渡り歩いていました」

母親の聡子さんが知る限りでも、娘の男遍歴は華麗だ。夫が「甘ったれるな、実家から出ろ」と激怒した20歳の頃から夜の世界に入っていった。

「最初は上野駅近くのキャバクラに行き、時給2000円から、あっという間に4000円になり、六本木のキャバクラから引き抜きが来たんです。スターになれば、お化粧してニコニコしていればいい世界から入ったので、ここでも娘は営業電話をするなどの努力をしなかった」

25歳までのキャバ嬢時代は、この世の春だったという。当時は00年代初頭で、ITバブルも華やかだった。

「私の誕生日に“ママ、おめでとう”と100万円もするバッグをくれたんです。驚いて聞くと“お客さんからもらった”と。ほかにも、20万円の財布、400万円の腕時計など、いろんなものをもらっていました。そういう時代だったんでしょうね」

しかし、無関係なキャバ嬢に、高級なプレゼントを貢ぎ続ける客の多くは、背景に後ろ暗いところがあったり、無理してお金を使っていたりする。そんな客の多くは没落していった。

「娘も年齢を重ねて稼げなくなった。加えて、彼女は努力が嫌い。営業電話やメールもしないので、もっと若くてかわいい子が台頭し、蹴落とされて行ったんです。本人は言いませんが、あの頃は援助交際などもしていたと思いますよ」

稼げなくなっても、派手な生活を続けていると、金は出ていく一方だ。また、娘がすがる資本は、目減りし続ける“美貌と若さ”だ。これを維持するためには高額の費用を要する。

「ナントカ注射とか、豊胸手術、お尻の整形などもしていたみたいです。家に帰るたびに、どんどんキレイになっていくんです。娘が美容整形をするたびに、私が否定されているみたいで辛かった」

【27歳の娘は、77歳の男性と同棲をしていた……後編へと続きます】

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などに寄稿している。

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