般若心経全文

手本に書かれた262文字の『般若心経』に、お写経用紙を重ねて書写する形式のお写経は、55年前の昭和43年に奈良、西ノ京の薬師寺で始まった。

当時の管主であった高田好胤和上が、戦国時代の享禄の兵火(1528年)で焼失した金堂の復興を発願。お写経による納経供養料で再建を目指す「お写経勧進」を始めた。当時、お写経は僧侶や遍路、一部の熱心な祈願者によって行なわれるものだったが、高田和上は一般の人がより気軽に、親しみやすくお写経ができるよう、手本の文字を写す方法を考案。このやり方なら、『般若心経』を詳しく知らずとも、漢字を間違うことなくお写経することができる。

薬師寺管主高田好胤和上 (1924~98)。お写経勧進を始めたほか、修学旅行生などへの青空説法が話題を呼んだ。

日本最古の『般若心経』「隅寺心経」

隅寺(海龍王寺)の名を冠した『般若心経』の写経で、奈良時代に写経された現存する最古の写経のひとつ。奈良国立博物館蔵

受け継がれる高田和上の思い

初心者にも取り組みやすい方法はすぐに受け入れられ、高田和上の「お写経勧進」により薬師寺金堂は昭和51年に再建。その後も「お写経勧進」は続けられ、昭和56年には西塔が再建されるなど、多くが失われていた白鳳伽藍は人々の思いでつづられたお写経の力で復興されていった。

国宝に指定されている東塔も、平成21年からおよそ12年の歳月をかけて全面解体修理が行なわれ、令和3年に竣工、コロナ禍による延期を経てお写経勧進55周年の今年、令和5年4月に落慶法要が営まれた。高田和上以来、勧進数は870万巻を超えている。薬師寺に納められたお写経は、お写経により復興された諸堂の中に安置される。

薬師寺創建当時から唯一、現存する国宝の東塔。お写経勧進により初めて全面解体修理が実現。本年4月に、落慶法要が行なわれた。

また、東日本大震災以降、僧侶が被災地でお写経会を開いて被災者の心を癒す活動を続けるなど、人々のためにお写経が役立てられており、高田和上の願いは今も受け継がれている。

毎日開放されている薬師寺のお写経道場。必要な道具は完備されているため、お写経用の持ち物は不要。お写経にかかる時間は人それぞれだが、初心者なら1時間半ほどかけて行ないたい。

宗教、宗派を問わず誰でも行なうことができ、毛筆でなく鉛筆で書いてもよい。祈願の内容も自由なのが薬師寺のお写経の特徴だ。

写経をする経典は、宗派によって異なる場合があるが、多くの寺院で、仏教の教えが262文字の短い文の中に集約された『般若心経』が採用されており、広く親しまれている。

正式には「般若波羅蜜多心経」というが、この経典の名の意味するところは「智慧の完成」「完全なる智慧」といわれる。

智慧とは、全ての苦しみから解放され、安らかに生きるための境地にいたる方法のこと。この世の全てには因果があり、その結果として様々なことが起こる。全ての事象は因縁により一時的に生じているだけで、不変はない。知識により物事を知ったり得たりしても、そこにも、自分自身にさえも不変の実体はない。だから、一切は「空(くう)」である。そうしたものごとの本質を見抜く力を持つこと、現実を見つめる勇気を持つために正しい行ないを実践し、悟りの境地に導かれるというのが、『般若心経』の大意といえよう。

『般若心経』の神髄

『般若心経』の神髄を平易な言葉で簡潔にまとめた薬師寺の高田好胤和上考案の「般若心経のこころ」。唱和して覚えたい文言だ。

前出の薬師寺の高田好胤和上は、この『般若心経』の教えを分かりやすく「般若心経のこころ」として伝えた。漢字ばかりの難しい経典が、平易な言葉でひもとかれるまで、高田和上は試行錯誤を重ねた。『般若心経』の文字や用語をいくら解説しても、「空」の一文字を説明できなかった。だが、あるとき思わず口をついた言葉が「般若心経のこころ」そのものだった。

「あたかも太陽が何ものにもかたよらず、万有を照らすが如き心。その太陽をも包含する大空のようなひろい心。これは私自身への警鐘であり、人様への勧めでもある」

と高田和上は書き遺している。

薬師寺では、今もお写経と法話の集いが開かれる折に、「般若心経のこころ」を唱和する。初めてお写経をする人も、経験のある人にも、平易な言葉でまとめられた仏教の神髄によるお写経を、ぜひお勧めしたい。

●般若心経全文の読み方は薬師寺に準拠しています。

とじ込み付録解説

薬師寺お写経「般若心経のこころ」を書写

薬師寺では毛筆でなくとも、筆ペンなど使いやすい筆記具でお写経をしてもよいとしている。作法などにとらわれず、思い立ったら気軽に始めてみることこそ大切なのだ。

経典を書写する写経。写経することで功徳が増すともいわれる。一字一字に集中し、ひたすらに文字をなぞるだけでも雑念が払われ、心が休まる。安らぎを求めて寺院の写経道場を訪れる人が増加しているのも頷ける。

ここでは、本家ともいえる薬師寺での作法を紹介したい。薬師寺では経典と書写する人への敬意をこめて「お写経」と称している。「作法にとらわれず、気軽に始めて構いません。始めることが第一歩」と、薬師寺は呼びかける。

サライ8月号のとじ込み付録は、薬師寺のご厚意による「般若心経のこころ」のお手本である。難解な『般若心経』を平易な分かりやすい言葉でひもときながら、その神髄を伝える一編である。

本格的な『般若心経』によるお写経は敷居が高いと感じる人も、このとじ込み付録を使用することで、気軽にお写経の体験ができるだろう。

一文字ずつ心を込めて丁寧になぞる。書き進むに従い、用紙を動かしても構わない。自然な姿勢を意識する。お写経は書道ではないので、自分の癖を出さずに書くことを心がける。

堅苦しく考える必要はないが、次のような準備と手順で始めることを勧めたい。

(1)机の上を清めたり、身支度を整えるなどして環境を整え、切り取った「般若心経のこころ」と筆記具を机に並べる。
(2)手を洗い口をすすいで身を清める。
(3)机の前に座り、姿勢を正し、呼吸を整える。正座でも椅子でもよい。
(4)鉛筆(やわらかめの3Bや4Bを推奨)や筆ペンで、一文字一文字、丁寧になぞり書きをする。むろん毛筆でもよい。
(5)書き上げたら、粗末にせず箱などに入れて保管することが好ましい。仏壇があれば供えてもよい。

また、書き上げたとじ込み付録「般若心経のこころ」は、奈良の薬師寺および東京別院に持参すると、それぞれ御朱印を押印してもらえる(2箇所に持参すればひとつずつ押印される。下の画像はその見本)。

付録をなぞり、薬師寺か東京別院へ持参すると薬師寺印(左下)が頂ける。薬師寺で印を頂いた方は東京別院へ、東京別院で頂いた方は薬師寺へ持参すると、さらに薬壺印(左上)が頂ける。いずれも志納料300円。

お写経をより身近に

薬師寺は、お写経する上で覚えておいてほしいこととして、『般若心経』の教えでもある「かたよらない」「こだわらない」「とらわれない」の3点を挙げている。

好きな時間に書くとよい。無理に無心になろうとする必要もなく、むしろイライラしているときが好機とされる。「こうでなくてはならない」と決めつけないことが大切だ。「般若心経のこころ」をきっかけに、薬師寺や東京別院で本格的なお写経をしてみてはいかがだろうか。今号の付録をささやかなきっかけとし、心を調えるよき習慣となることを期待したい。

●押印は薬師寺と東京別院の朱印所で令和6年1月15日まで。

※この記事は『サライ』本誌2023年8月号より転載しました。(取材・文/平松温子 撮影/安田仁志)

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