ウエディングドレスなんて、着たくない

妻は、パンツスタイルでボディラインに起伏はなく、少年のような佇まいをしていたという。

「声も低いし、いわゆる女性らしさのかけらもない。でも、僕にとってはその佇まいがセクシーでした。笑うと口がハート型になるのも好きだった。老成しており、話していると落ち着くんです。僕が何かに腹を立てると、淡々と“これはこうだから、こうなんだよ。だからこうしたらどう?”と筋道を立てて話してくれる。好きという気持ちよりも、尊敬のほうが強かったかもしれない」

30歳と29歳のふたりは自然に交際し、結婚話に発展した。

「次男坊の僕と、3人姉妹の真ん中の妻との結婚は、気楽なものでしたよ。両家の実家は孫たちの世話に追われ、結納だ結婚式だと言われなかった。妻が頑なに“ウエディングドレスは着たくない”というので式はせず、オランダに旅行をしました。車を借りて、ベルギー、ルクセンブルクと周りました」

当時、怒りの導火線が短かかった広司さんは、道に迷ったり、相手が不正をしたり、時間に間に合わなかったりすると「ふざけんな!」と怒りを露わにした。そのたびに、妻は「相手には相手の事情があるのよ」と淡々とやり過ごした。

「今でこそアンガーマネージメントと言うけれど、当時は怒ってナンボ、威圧してナンボでしたから」

結婚1年目に娘も授かり、人生は順風満帆だった。30年間の結婚生活でケンカしたのは一度だけ。広司さんが海外赴任になったときに、妻に対して「仕事を辞め、僕についてきてくれるよね」と言ったことだった。

「妻は見たこともない顔で“はあ?”と言い、“じゃあ、あたしが海外赴任になったら、あんたがついてくるの?”って。僕はそれまで心の奥底で、妻を……女性のことを軽視してたんだと気付かされました。それが、”妻が帯同するのは当たり前”という発言につながったんだと思います。そのときに、妻は離婚の話を切り出した。慌てて、自分の悪いところを説明し、許してもらいましたが」

結局、広司さんは家族とは離れがたく、海外赴任を蹴って38歳のときに外資系企業に転職する。しかし、なじめず、45歳のときに友人と起業したが、失敗し億単位の損失を出す。このときには、妻が大黒柱になった。生活費だけでなく、高校生だった娘の留学費も妻が出したという。その後、48歳のときに広司さんはもう一度、起業する。5年間、無我夢中で走り続け、会社は軌道に乗る。

「僕が会社をうまく回せたのは妻のおかげ。そのことを伝えると、夫婦はサバイバルバディだから、と笑っていた。いつか恩返しをしたいと思っていたのですが、その機会はなかった。でも、新型コロナの前年に、妻が早期退職をしたんです。退職祝いも兼ねて、アメリカにいる娘のところにも遊びに行ったのが、ふたりの最後の旅行になりました」

【死の直前に燃え上がった夫婦生活と、希望を叶えられなかった後悔……その2に続きます】

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(小学館新書)がある。

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