親が元気なうちに終活をする
麻紀さんは、盆と正月には実家に帰っていた。退職後、実家に戻る話をすると、両親は喜んでくれた。
「兄が先に逝ったこともあり、親は喜んでくれました。兄の死の経緯を調べるほど、死ぬというのは大変なことだとわかり、終活を始めたのです。親の財産目録を作り、定期購入しているサプリなどを聞き、親族の一覧表を作り……気が遠くなるような作業でしたが、総務畑40年の底力を発揮し、がんばりました」
実家に戻ってから1年目、父親が88歳で亡くなる。自転車に乗っていて転倒したのだ。即死だったという。それにショックを受けた母親は目に見えて衰えていき、半年後にこの世を去った。葬式から目まぐるしい事務処理で忙殺されたという。
「すべてが終わった後に、たったひとりになってしまった。足元がすくむような孤独に襲われているときに、まとまったお金があるから家を建て替えようと思ったんです。近くに大学があるので、下宿として貸し出せるように、玄関共用の二世帯住宅タイプにしました。下宿側にはミニキッチンと小型の浴室をつけました」
総務勤務とはいえ、元建築会社の社員。納得がいく家を建てることができた。近所の人に入居者を募集していることを話すと、麻紀さんの高校時代の親友だった良子さん(62歳)が離婚し、家を探していると聞く。
「60歳だと家も借りられず、大変だという。明るくて社交的な良子と暮らすのもいいと思ったのです。良子に20年ぶりに会うと相変わらず、明るくて楽しい。私も家賃が入ることはありがたいし、正直、見ず知らずの人に貸すのは不安だったので、すぐに賃貸契約書を作り良子に家を貸すことにしたのです」
玄関に入ると、麻紀さんの部屋の扉があり、良子さんに貸し出す家の扉があるという構造だ。いずれも施錠ができ、プライバシーは確保されている。
「今、良子に家を貸し出して半年です。最初のワクワクはすでになく、良子の部屋の物音を聞くだけでも気分が滅入る。そして、良子が家にいるうっとうしさ……家にいるのが苦痛で、ホテルに泊まりに行くこともあるんです。老後資金がじわじわと食いつぶされているのが本当につらい」
良子さんは、朝から昼にかけて近くのお菓子工場に働きに行っている。この間だけがホッとするのだという。
【明るいというのは、うるさいということ……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。