取材・文/沢木文
「女の友情はハムより薄い」などと言われている。恋愛すれば恋人を、結婚すれば夫を、出産すれば我が子を優先し、友人は二の次、三の次になることが多々あるからだろう。それに、結婚、出産、専業主婦、独身、キャリアなど環境によって価値観も変わる。ここでは、感覚がズレているのに、友人関係を維持しようとした人の話を紹介していく。
里子さん(仮名・62歳)は1年前に熟年離婚した。27年前に知り合った友人・幸江さん(62歳)を頼り、東海地方に移住して1年になる。「友達の近くに住むものではないですね。東京に帰りたい」と後悔している。
27年間家庭内別居をしていた
里子さんと幸江さんが出会ったのは27年前。お互いに35歳だった。東京に住む里子さんと、東海地方で生まれ育った幸江さんに共通点は全くない。きっかけは里子さんの夫の左遷だった。
「当時、結婚8年目だった夫は、ある保険会社に勤務していたんです。その時に、部下の女性と関係を持ってしまったんです。当時は不倫も容認されていたし、遊び感覚というのではなく、本気の人が多かったんです。その女性も“奥さんと別れて結婚して”とウチに来たこともあったんです。こっちは娘もいるし、専業主婦で夫がいないと経済的に困る。離婚は断固として拒否しました」
夫は女性に甘い言葉をささやいていた。当時は現在とは異なり「結婚することが女の幸せ」というような考え方が社会を支配していた。女性の悲しみは、やがて怒りになる。部下の女性はその感情を業務中も表現するようになり、やがて勤務もままらなくなっていき、解雇されてしまう。
「その件で、夫は地方支社に左遷になりました。“一緒についてきてくれ”と言われたんですが、断りました。そのあたりから夫婦の間に大きな溝ができたんです。私はどちらかと言うと潔癖で、浮気を知った時には悲しいよりも気持ち悪くて嘔吐しました。以来、夫のパンツは一緒に洗っていなかった。娘にも“パパは汚い人”と教えていました。当然、必要以上は話さない家庭内別居です。離婚までの26年間、夫の笑顔は見たことがありません」
夫が地方で単身赴任をしていれば、時間ができる。
「娘と2人で週末に遠出をするようになったんです。私はドライブが好きなので、泊りがけで小旅行をしていました。当時は個人経営の宿が多かった。東海地方のある街で気に入ってよく泊まりに行っていたのが、幸江さん夫婦が営むペンションだったんです」
その宿には、娘と同じ年の女の子と、2歳年下の男の子がいた。
「年に4回くらい泊まりに行っていました。2年後に夫が東京に戻っても、娘とその宿には行っていたんです」
【浮気された悩みや、パパ友への恋心を打ち明ける仲になる……次のページに続きます】