離婚の条件は何もなく、弁護士が離婚届けにサインを迫る
物静かでおとなしく可憐な妻。25年間の結婚生活で、ひたすら「離婚」のタイミングを待ち続けていたのではないだろうか。
「みんな、ウチの妻を誤解しているんだけれど、彼女はアクティブなんだよ。友達と旅行にも行かせてやったし、娘と3人でアメリカだ、オーストラリアだ、ヨーロッパだとさんざん遊び回っていた。文句言わずに金を出したのは僕だよ。これが普通の男だったら、国内旅行も行かせられないよ。僕の友達の話を聞いていると、『亭主の夕飯を作らなくちゃならないから、早く帰る』とか言うじゃない。僕なんか『作らなくていい』って言うんだから、よい夫だと思うよ」
「自分はいい夫だった」だからこそ、妻からの離婚の申し出は、納得がいかない。
「正直、腹が立っている。僕が結婚に向いていないとあれだけ説明して、それでもいいと結婚したんじゃないか。家庭についてとやかく言うけれど、僕は妻の言う通り、玄関で靴を揃え、空き缶を灰皿にするのをやめた。靴下も自分で洗濯機に持って行くようになった。妻に合わせて生活習慣を変えてきた」
妻は、離婚の条件として、財産分与など、何も求めてこなかった。
「弁護士が来て、離婚届けに署名が欲しいと迫るのみ。全く本人とは話せない。ここでサインをしたら負けなのかもしれない。でも、ここで署名しないと、調停や裁判になる。こんなに強硬な妻を見たことがなかった。今まで知らなった彼女を、突き付けられているみたいな感じになる」
妻が出て行ってから2か月、今、家は荒れ放題だという。
「ズボラな娘は掃除ひとつしない。日々、妻がいた痕跡が消えていく。このコロナ禍で思ったのは、どうでもいい話をする相手がいないというのは、心がやられるってこと。晴れたねとか、庭のあやめが咲いたとか、庭にハクビシンが来たとか、そういう話。今まで『ふ~ん、そう』って聞こえてきたのに、誰も何も言わない。妻がいないというのは、こういう生活なのかと思っている。寂しいというのでもないし、張り合いがないというのも違う。夫婦も家庭もうまくいっている。そう思っていた。でもそれを感じていたのは、自分だけだったということを、認めたくないのかもしれない。金はある。仕事もある。食わせなきゃいけない社員もいる。コロナ禍にも関わらず、増収増益を続けるだろう。それなのに、何だこの虚しさは。家にいるのはあのバカ娘だけという、ね。今でも妻がいるような気がして、つい名前を呼んでしまうんだ」
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。