社長と社員の愚痴聞きで1日の大半を消費
隆司さんの仕事はシステム開発、もっぱら営業などの外部相手というよりも内部作業が多いそうだ。当初は新卒で入った別会社で営業の仕事を経験するが、1年で挫折してしまい今の職場に再就職。システム開発という職種は学生時代のアルバイトの中で経験があったものの「会社に育ててもらった」と言う。それほど恩を感じている会社から、別会社に出向したのは31歳のとき。最初は新しい仕事に希望しかなかったという。
「別会社というか、勤め先が子会社を作ったというのが正しいですね。その立ち上げで、社長から直々にお願いされたのです。新卒で入った会社を1年で辞めてそこから再就職がなかなかできずにフリーターの時期もあったので、前の社長には拾ってもらったという恩を感じています。そんな人から直々にお願いされたことだったので、ぜひ役に立ちたいと思いました。立ち上げから関われることなんて、そんなに多くないですから」
出向から3年後には小会社所属に。隆司さんは「これが間違いだったかもしれない」と振り返る。
「仕事は新しく覚えることが多かったものの、やりがいも感じていました。でも、私以外の社員が長続きせずに、新しい経験者を採用しては上と揉めて辞めるようなことが続いたんです。完全に小会社に所属することになったのはまさにそんなとき。そこから社長と新しく入った後輩たちとの板挟み状態が続きました。良かれと思って後輩の相談に乗っていたのですが、子会社の社長は私に部下たちの管理も任せるようになったんです」
人当たりも良く、社交性もあった隆司さんは上と下の板挟みにあいながらも仕事を続けた。そんなタイミングでコロナ禍が襲う。会社はすぐにリモート勤務を取り入れ、出社は週に1~2日ほどに。前から距離のあった社長と社員たちの溝はさらに深まり、複数人の愚痴を聞くことで1日の大半を消費する日もあったとか。
「リモートになっても全員で行う朝礼があるわけでもなく、その日ごとのタスクをみんなが私宛にメールで送ってきて、それをまとめて社長にメールするのが朝イチの仕事でした。
そんな報告だけでは、ちゃんとやっているかの管理なんてできるわけもなく、その度に社長は私に『あいつはどうなっている?』と聞いてくる。そしてその進捗を後輩に尋ねると『丸投げなところが気に入らない』など愚痴を聞かされます。それが多いときは人数分あるわけです。大きな会社じゃないのでそんなに人数がいるわけじゃないけれど、長時間話す人もいて……。私の仕事はそれが終わってからです」
コロナ禍によって会社の業績も悪化。社員の管理だけでなく、新規事業もすべて任されることに。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。