取材・文/ふじのあやこ
新型コロナの流行に伴い、私たちの生活は激変した。人とはソーシャルディスタンスという一定の距離を保ち、日常的なマスクの着用など国民全体でのルールが敷かれているものもあれば、リモートワークや失業など、個人によって大小それぞれ異なった変化も起った。
この連載ではコロナ禍よってもたらされたさまざまな変化により、人生が変わってしまった人たちに話を伺っていく。
「コロナ禍によって“浅くて広い”人間関係は淘汰されていった。狭くて深い人間関係の中に、私のことを誰も入れてくれていませんでした」と語るのは、今日子さん(仮名・35歳)。岡山県出身で、東京には29歳のときにやってきたとのこと。コロナ禍前までは東京でも遊ぶ友人はたくさんいたという。
自分がしたいことよりも相手に合わせるほうを自然と選んでいた
今日子さんが出身である岡山県を出たのは大学生のとき。5歳上と2歳上に姉、3歳下に弟のいる家族の中でも孤独感が強く、友人付き合いもうまくなかった。
「兄妹が多いので、私のような個性のないタイプは親の目にも止まりにくいんだと思います。私は勉強も運動も平均で、部活など熱中することもなかった。もちろん親はちゃんと私のことも育ててくれましたし、感謝もしています。
学校は、中学生のときにいじめというか、女子グループのボス的な女の子から無視されたことがきっかけで、半年ほどクラスの女子全員から無視されたことがありました。2年の2学期の途中からでしたが、3年のクラス替えで友だちができたし、叩かれるとか物を捨てられるとかのような直接的なものはなかったので、まだ耐えられました。ちゃんと学校にも行っていたので親は知りません」
大学で大阪に出てきて、就職もそのまま大阪で。どうしても大阪に残りたかったのは当時付き合っていた男性が大阪にいたからだという。
「自分の人生を振り返ると本当に主体性がないなって思います。大学で大阪に出たのも、当時一番仲が良かった友人の影響だったし、就職は彼氏の影響。私の回りには自分で決めたことを独自でどんどん進めてしまうタイプが多くて。それにいつも流されていました。
彼とは大学のときから付き合っていて、彼の地元が大阪だったので、そのまま就職したんです。でも、29歳のときに転勤で東京に行くことになって、私もついて行きました。結婚の約束をしたわけでもなく、彼から『どうする?』と聞かれたから『ついて行く』と言っただけです」
退職などの手続きもあり、彼に遅れること3か月後に上京。大阪時代から「同棲はしたくない」という彼の意見に従い別々での生活がスタートする。せっかく同じ都内で生活しているのになかなか会えないところから別れの予感を察知していた。
「いじめ経験からか、人の顔色を伺うクセがついてしまっていて。なんとなく避けられているんだろうなって思っていました。転勤が決まったときも最初から『どうする?』だったから、あのときから覚悟のようなものはしていました。最悪の結果を想像していたら、それと同じようなことが起こってもすでに心には耐性ができているような状態になって、耐えられるんです。あくまでも個人的な感想ですけど」
【東京で気の許せる仲間ができた。次ページに続きます】