優しくできないくせにまだまだ元気でいてほしい
上京してからしばらくの間、ホームシックのような気持ちになり夜に泣く日々もあったそう。次第に気持ちは落ち着いていきますが、帰省する度に不安定な気持ちになって東京に戻ることを繰り返してしまっていたとのこと。
「離婚のことで心はだいぶ削られましたけど、基本的に普段の私は何かで落ち込むことがあっても次の日には忘れられるタイプでした。環境を変えたこともいい効果があり、離婚から1年ほどですっかり日常を取り戻していたんです。
でも、実家に帰省して東京に戻ってからはしばらくすごく落ち込んだり、急に泣き出したりとすごく情緒不安定になりました。母親を思い出しては寂しい気持ちとイライラと罪悪感と……、色んな感情で心が辛くなってしまうのです」
コロナ禍に入ったときが一番心が穏やかに過ごせたと言いますが、コロナ禍が落ち着いた今年の秋ごろに2年ぶりの帰省をして、東京に戻ってからは仕事が手につかなくなるほど寝込んでしまったそう。
「子どもがこんな年齢になっているんだから当然なんですけど、2年離れていると親の老いというものをリアルに感じてしまいました。あぁこの先そんなに長く一緒にいれないかもしれないと思うと辛いのに、物忘れがひどくなった母親から何度も同じ質問をされたり、私のことを決めつけるような発言をされたりするとイライラが止まりませんでした。
今回はさらに母親から『そんなイライラしないで』と言われてしまって、イライラを隠せていると勘違いしていたこと、そして親に対してなんて態度をしてしまったんだと、1週間弱の滞在の中で最後の2日間ぐらいはすでに眠れない状態でした。本当に東京に戻りたくて、1人になりたくて仕方なかった。帰省の前半と後半で別人のような気持ちになってしまいました」
現在は電話でも母親とは穏やかに会話ができているそうですが、年末の帰省は見送ったと聡子さんは言います。生きている間に親孝行をしたい気持ちだけを抱えてしまっている状態とのこと。
「何が親孝行なのかはまだわかりません。孫も見せてあげられていないし、予定もない。姉と違って私は1人身で自由なのに親の側にもいてあげられない。自分が親ならこんな子ども嫌だなって思います。まだまだ元気でいて親孝行のチャンスを欲しいと心だけは思っています。何の行動もできていないのに、偽善ですよね……」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。