娘のために、お菓子も手作りしていた
夫は育児にノータッチだった。
「それも時代ですよね。主人は定年まで働いて、その後も子会社の社長をするくらい、出世した。いい大学を出ていることもありますが、家事も育児も一切しなかった。だからこそ仕事に集中できたんだろうと思いますよ」
夫は早朝に出て深夜に帰る。土曜日は半ドンで帰宅すると眠り続ける。日曜日はゴルフでずっといない。つまり全く手がかからなかった。直子さんは聡明で負けず嫌いな性格だ。高齢出産で産んだ娘を、非の打ち所がない理想の女性に育てようとした。
「世界をまたにかける女性になってほしかった。娘が生まれたとき、何かのテレビで、ニューヨークで働く日本人女性が出てきたんです。シュッとした黒いスーツを着て、足元はスニーカーで。これだ! と思いましたね。自由で自立してカッコよくて。英語もペラペラで素敵な外国人男性の夫と、かわいい子供がいる」
そのために、直子さんは、幼い娘に英会話教室に通わせたり、ピアノ、水泳、乗馬、ダンスなどを習わせた。
「娘のためだと思っていたんです。娘のことを一番わかっているのは私でしたし、娘が幸せになるのは、私がちゃんとしないとダメだと思っていました」
話を聞いていると、習い事を最優先し、友達と遊ぶ時間を作らなかった。お菓子はほぼすべてを直子さんが手作りし、カロリー計算をしたり、カルシウムやタンパク質なども計算して与えていた。
「当時、添加物の害が叫ばれていましたから。そういうモノを娘の口には入れたくなかった。中学校から女子大の付属に入れて、高校2年生くらいまでは私の言うことを聞いていたと思います」
直子さんが娘にかけた愛情は、狂気にも近い支配が根底にあるのではなかったか。おそらく、娘はそこから逃げたかったのかもしれない。遅い反抗期ともいえる。家出を繰り返し、娘を探すために警察に相談したこともあった。
「主人は“ほうっておけ”と言うんですけれど、もしものことがあったら困る。あんなに手塩にかけて育てたのに、このままではキャリア女性になれない」
【娘は高校時代、友達の家を泊まり歩き、高校には無遅刻無欠席だった……。~その2~に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。