取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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娘を「マル高」で出産、幸せになってほしい存在
原田直子さん(仮名・70歳)は、暴力的ですぐにキレる娘(35歳)に手を焼いているという。娘は母に暴言を吐いて説教をしたり、遠くのコンビニにヨーグルトを買いに行かせ「これじゃない」などと言うのだという。直子さんが作った料理やアルバムを目の前で捨てられたこともあった。
「娘はそれでもかわいい。というのも、結婚10年目に授かってマル高(高齢出産のこと。 30歳以上の妊婦さんの母子手帳に「高」の字が丸で囲まれたスタンプを押すという以前の規定)で産んだこともあるかもしれません。今みたいに不妊治療が発達していないから、できないのは本当に辛かった。義母から毎日のように“孫はまだか”って電話があって。今とは全然違いますよ」
直子さんは結婚するまで大手企業の一般職として働いていた。
「一般職(笑)。そんなこと言われたこともなかった。短大卒の私たちは、“茶くみ係の腰かけ事務員”と面と向かって言われていたから。今のニュースを見ていると、そういうことが“なかったこと”にされている。時代の流れなんでしょうけどね。新入社員当時、2歳上の女性の先輩から、女性社員は顔採用だと聞きました。松が明けた新年7日の出社では、女性社員が振袖を着て出社していた時代もありましたよ。女の子はお飾りだったんですね」
会社の制服も、20代前半でないと着こなすのが難しかったという。25歳を超えて働いていると“姥桜”とか“お局”などと言われたという。
「それが当たり前だと思っていました。私も25歳で主人が結婚してくれたからよかったけれど、少し焦りはありました。働くのが好きだったので、仕事を続けたかったけれど、寿退社(結婚退職)が当たり前だから、働き続けたいとも言えず。そういう経験をしたから、娘には好きなことをして、幸せになってほしかった。それなのになんで、こんなことに……」
今、娘は35歳で結婚もせず家にいる。仕事は派遣社員だ。直子さんの夫(72歳)は、娘と一緒にいる時間を少なくするために、夜勤の仕事に出ているという。
「主人は夜に警備の仕事をして、土日は部屋に閉じこもって出てこない。娘と顔を合わせたくないって言うんです。娘が勤めに出ている間、2人で話していたら“僕は1人暮らしをしようと思う”ってうちの近所のひとり用マンションのチラシを見せてきた。主人は見たくない事実から逃げる。私はそれでも娘に幸せになってほしいんです」
【夫は「あいつは性根が腐っている。あいつに殺される」と言った……。次のページに続きます】