反抗期は遅く、社会人になってから。老いを感じさせる母親の発言が嫌だった
母親の実家には、祖父が妙子さんの小さい頃に亡くなっており、祖母だけが暮らしていたそう。しかしその祖母も妙子さんが高校生の時に病気で亡くなってしまいます。
「祖母はずっと体調が優れないようで入退院を繰り返していたんですが、身の回りのことは自分でできるくらいは元気でした。あの日も自分の足で病院に行って、ただの検査入院だったんです。でも、そのまま家に戻ることはなくて……。あまりに突然だったから祖母の最後には誰も立ち会えませんでした。
その後の葬儀などはバタバタでした。母には年の離れた兄がいたんですが、普段からあまり交流がなくてお葬式で久しぶりに会った感じでした。葬儀は伯父が喪主になって行われ、その後には何があったのかわかりませんが実家を取り壊すことになり、私たちは出て行くことになりました」
県内のアパートで母親との2人暮らしがスタートし、妙子さんも高校を卒業後にアルバイト先だった飲食店に就職。そんな中、学生時代にはなかった反抗期が起こってしまったと言います。
「仕事が忙しくなり、家で過ごす時間が少なくなるのは仕方ないことなのに、この日のこの時間は家で過ごしなさいなどと勝手に決められることに反抗しちゃっていました。いざ2人きりになるとうまく距離感が掴めないというか。それにこのぐらいの時期から『もう年だから』とか『いつまでもお母さんがいるわけじゃない』とか、老いを感じさせるような弱気な発言を繰り返すようになり、それにもイライラしてしまって。そんなことを言わないでほしいっていう気持ちもあったんだと思います」
結婚しろと口うるさく言い続ける母親とケンカを避けるために距離を置いて付き合うように。しかし、結婚後うまくいかない家庭の悩みを隣で聞き続けてくれたのは母親だった。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。