母親の愚痴の聞き役は私。両親の離婚を阻止したい一心だった
特に大きな揉め事はない家族関係だったものの、朱音さんが高校に上がる頃に両親の仲は悪化。母親の愚痴を朱音さんは聞き続けたと言います。
「私的にも両親には離婚してもらいたくなかった気持ちがあったから、母親の愚痴を聞くことで両親がぶつかり合うことを避けられるならと思って。本当か違うのかは知りませんが、母親は父の浮気を疑っているようで、父親の帰りが遅いと『女性と飲んでいる』と決めつけた言い方をしていました。当時は私も多感な時期だったから、そんなことをしている父親は不潔だと、父親を避けるようになってしまっていて。姉は当時働き出したばかりだったから自分のことで精いっぱいといった感じで、私もなんとなくもやもやした気持ちをずっと消化できないでいました」
朱音さんはその後短大を卒業して、都内にある飲食店を経営する企業に就職。その就職をきっかけに母親と不仲になった時もあったと振り返ります。
「仕事は忙しくて、遅く帰る日も多かったんです。それに飲食業だから休めるのは平日で、私もそこは当然だと思っていました。しかし、母親はそこまでしてそのお店で働く意味がわからないようで、普段は何も言わないのに、何か私が母親と約束、例えば一緒に親族の家に行くというのが仕事でダメになった時などには『そんなところで働くからだ』というようなことを言われ続けました。そんな時は決まって聞こえてないフリや、無視をしていましたね。揉めるのが面倒だったから」
そんな状況でも朱音さんは一人暮らしをしなかったそう。そしてお姉さんも実家暮らしを続け、結婚後も実家で暮らしていたとか。
「小言さえ目をつぶれば、わざわざ一人暮らしをする必要もなかったから、ですかね。姉もいて、姉なんか私が24歳の時に結婚したんですが、一度は結婚で家を出たのに、家を買うお金を貯めたいという理由で義兄を連れて実家に戻ってきましたから。もしかすると、そこが一番家を出るタイミングだったんでしょうけど、姉夫婦に私の部屋をとられたりするかもしれないと思ってしまって。結局私も家を出たのは結婚がきっかけでした」
結婚に失敗したのは母親の忠告を守らなかったから?【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。