料理人がシテとなる『宗八(そうはち※1)』という狂言がある。狂言師が鮮やかに魚をおろす演技が見どころだが、その庖丁捌(ほうちょうさば)きが現代の料理法とは異なっていて面白い。
自分の職業に嫌気がさした僧と料理人が登場し、僧は料理人に、料理人は僧になりすまして同じ主人に召抱(めしかか)えられる。今も昔も変わらぬ転職願望を描いた狂言だ。
主人は元僧の料理人に、「鮒(ふな)は膾(なます)、鯛は背切り(せぎり)」にしておけと言いつけて出かける。同じく元料理人の僧は読経を命じられるが、お互い経験がない。そこで二人は前職を明かして、本来得手(えて)の仕事に取りかかることにする。
舞台には、大きな魚の乗った俎板(まないた)が置かれ、元料理人は襷掛(たすきが)けとなり、真魚箸(まなばし)という長い箸を左手に、右手に庖丁を持って、鱗(うろこ)をそぎ、頭を落として、三枚におろしていく。この場面で、かつては、魚や鳥の肉には素手で触れず、箸を使って料理をしていたことが窺(うかが)われる。
庖丁師、庖丁人と呼ばれた中世の料理人にとって、饗応(きょうおう)の場で鮮やかな庖丁捌きを披露することも大切な仕事だった。室町時代には、料理道として庖丁使いや切り方が形式化され、流儀も生まれたという。
また、庖丁の技術は男の嗜(たしな)みともなり、シテが作法に則(のっと)った庖丁捌きで鱸(すずき)をおろす『鱸庖丁(すずきぼうちょう)』という狂言もある。
『宗八』の元料理人は、「あまたの魚鳥(ぎょちょう)を殺し思わぬ殺生をし、其上(そのうえ)塩あんばいの何の彼のというて、殊(こと)の外(ほか)辛労(しんろう)でござるによって」と商売替えをした理由を語る。
嫌気がさした筈(はず)の料理に夢中になり、帰宅した主人に見つかる元料理人。鯛を手にしたまま経を唱え、お経を箸で叩く元僧と一緒に、主人に追いかけられるというのが『宗八』の結末である。
※1:大蔵流では『惣八』と記す。
写真・文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。
※本記事は「まいにちサライ」2013年9月11日掲載分を転載したものです。