まだ幼かったころ、地元には小さな川が流れていた。
といっても、豊かな自然を連想させてくれるようなものではない。コンクリートで固められ、わずかな水が流れている程度の川だ。子どものころは「ドブ川」と呼んでいて、たまに大きなドブネズミが走っていく姿などを見てはビビッていたものである。
しかし、その川もやがて姿を消した。水路はアスファルトで覆われ、「暗渠」となったのだ。だが、いまその道を歩く人の多くは、足の下に水が流れていることを知らないのではないかと思う。
そのように“本質”が見えない部分に隠されているからなのだろうか、暗渠には人の心を惹きつけるなにかが確実にある。だから、『暗渠パラダイス!』(高山英男、吉村生 著、朝日新聞出版)のような書籍も誕生するのだろう。
「暗渠にあまり関心のない人でも、暗渠上級者でも、愉しめる本に」との思いから、ふたりの暗渠マニアが著したものである。
暗渠の道に入って以来、いろいろな暗渠を見てきたし、たくさんの暗渠好きの人にも会ってきた。そのうえで言えるのは、暗渠によって、場所によって、見る人によって、さらには自分の状態によっても、心揺さぶられる要素が違う、ということだ。(本書11ページより引用)
ただしそれらは、「暗渠の愉しみ3要素」というべき以下の3つに集約できるともいう。
[1]たたずまい
まずは言うまでもなく、暗渠そのもののたたずまい、すなわち「暗渠のある景色・景観」を鑑賞する愉しみだ。
暗渠は、場所によっては諸行無常を感じるプチ廃墟のようでもあり、心を映す枯山水庭園のようでもあり、美しく苔むす侘び寂空間が広がるところでもある。これら独特のランドスケープを愉しめるのが暗渠だ。(本書11ページより引用)
また、いささかマニアックであるだけに理解されにくいものの、暗渠景観をなにかに見立てる愉しみ方もある。
暗渠そのものではなく、暗渠でよく出現する「車止め」「マンホール列」「銭湯」「車両ターミナル」など、数々の「暗渠サイン」を見つけ、鑑賞するのもいい。
つまりはイマジネーションを広げれば広げるほど、愉しみがいがあるということなのかもしれない。
[2]うつろい(経過)
川や水路が暗渠になった以上、そこにはなにか原因があったはずだ。暮らしを豊かにする新たなインフラに取って代わった可能性もあるし、生活用水や排水の混入によって放たれる異臭を封じ込めるためだったのだろうとも考えられる。
あるいは、戦争や災害が産んだ瓦礫を川が静かに受け入れたと考えることもできるかもしれない。
川がなくなる背景には、必ず何らかの歴史がある。水は恵みでもあるが、時として我々に牙をむく畏れの対象でもある。決して「楽しい」だけではないそのうつろいを、調べ、尋ね、読み解く愉しさを味わってほしい。(本書13ページより引用)
暗渠の多くは近代、とくに昭和以降にできたものなので、開渠のころのことを知るご存命の方から話を聞ける場合も多いだろう。つまり暗渠を通じ、「ヒューマンスケール」の歴史に触れることもできるわけだ。
[3]つながり(経路)
小田急線東北沢駅、JR山手線目黒駅、都営地下鉄浅草線高輪台駅の3つは、「直でつながっている」とは言い難い。我々が普段使っている交通網においてこれらをたどるとしたら、何度かの乗り換えが必要だからだ。
こうしたことからもわかるように、鉄道や幹線道路が整備された都会に住んでいると、頭に思い浮かべる地図も、こうした交通網がベースになりがちだ。
しかし、暗渠の経路をたどれば、これらは三田用水(江戸時代の人口水路・玉川上水からの分水。近代までさまざまな用途に使われた)という水路状に並んでおり、まさに直でつながっているのである。見えないネットワークが顕在化する瞬間だ。(本書14ページより引用)
たとえばこのように、暗渠という「見えない川の川筋」をたどることによって、地図にない新たなつながりが浮かび上がってくるのだと著者は言う。
実際、暗渠を辿っていると、「こことあそこがつながっていたのか!」などと驚くこともしばしばあるのだとか。だとすればそんなときは、謎解きが成功したときのように晴れやかな達成感を意識できるかもしれない。
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著者は暗渠を、「街に潜んだ見えないネットワーク」であると表現している。だとすれば街は、そのつながりを見つける楽しみを内包した壮大なパズルであるとも言えそうだ。
本書を参考にしながら、暗渠について調べ、巡る愉しみを知ってみてはいかがだろうか。
『暗渠パラダイス!』
高山英男、吉村生 著
朝日新聞出版
定価:1980円(税込)
2020年2月発売
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』などがある。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)。