【サライ・インタビュー】

横山はる江さん
(よこやま・はるえ、はるえ食堂店主)

――青森の市場の路地裏で惣菜店を営み40年、焼きおにぎりが名物

「昔は貧しかった。今はみんな、贅沢だ。着るものも、1年も着たら投げてはるじゃ」

撮影/宮地 工

※この記事は『サライ』本誌2018年4月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/宮地 工)

──“焼きおにぎり”が名物ですね。

「焼いた紅ジャケをほぐして、ご飯に混ぜ込んで胡麻をいっぱいつけて握るんだ。東京と違って青森のおにぎりは丸いけど、私は昔がら丸ではなくて、三角でやってる。けど、角はあんまりつけねえから、ゆるい三角だ。そして、七輪の炭火でじっくり焼くんさ。

“ご飯が美味しい”って言われるけど、電気釜じゃなく、ガス釜で炊いてるからかね。あと、私は水からじゃなぐて、お湯っこから炊いてる。ここでは紅ジャケのほかにカレイやヤリイカ、タラなんかを焼いたり、お惣菜の煮炊きまでぜんぶ七輪の炭火でやってます」

握ったおにぎりを七輪の炭火でゆっくりと焼く。「今の人は七輪を知らねえけど、私らはずっと使ってきたから、何の苦でもねえの」撮影/宮地 工

──お客さんは遠くからも来るそうですが。

「NHKのテレビとかに出だりしてからだ。結構、遠くから来るよ。東京や横浜とか、京都さからも来た。地球の反対側のブラジルから来た人もいた。その人は、結婚して埼玉からブラジルへ行ったと言ってたけど、向ごうでもNHKのテレビは観られるんだと。里帰りして、北海道さ遊びに行く途中に寄ったんだって。“焼きおにぎりをまた食べたくなったから”って、2回も来たんだよ。アメリカやカナダから来た人もいだ、なぁ」

──美味しさの秘密は何でしょうか。

「なんだろ、ねえ。私にはわからねけど、うちによくお客さんを連れてくる『寿司一』の大将のイッちゃんから聞いた話だと、炭火から出る遠赤外線が、おにぎりをパリッと香ばしく焼いて、旨味を中に閉じ込めるんだと。七輪だとそれが何倍もよくなるらしいよ。『寿司一』さんは、青森では高級で有名なお鮨屋さんだけど、“ばっちゃん、この焼きおにぎりの旨さは七輪の炭火でないと出ねえ”だって。おにぎりは昔からやってるけど、イッちゃんに“焼け”って言われたんだ。“お客さんの弁当代わりに持たせたいから”って。もう20年くらい前だったと思うけど、それからうちの名物になったんです」

── 生姜味噌のおでんもありますね。

「生姜味噌のおでんは、青森市とか津軽の名物だども、戦後、このあたりの屋台が始めたのが広まったんだと聞いでる。冬は寒いがらさ、生姜をおでんの味噌ダレにすりおろして入れると身体が温まるでしょ。それが青函連絡船のお客さんにすごく喜ばれたんだと。店によっておでんの具は違うけど、大根、白こんにゃく、“ 大角”( 薩摩揚げを薄く、大きく、四角く仕上げたもの)は生姜味噌おでんには欠かせないんだ」

──“はる江食堂”はいつ始めたのですか。

「いつからか“食堂”だなんて言わるようになったけど、ここは私のお姑さんが戦後ずっとやってたんです。でも、お姑さんが58歳のとき、もう働ぐのはやめて店を譲りたいと言うから、その権利を家賃で払うことにして私が買ったの。昭和49年、私が40歳のときだ。

店を継いだ頃は、すんごく賑わってたよ。この狭い路地いっぱいに、買い物客があふれてた。今は3軒になったけど、この路地の端から端まで12軒の店が並んでた。うちみたいな食べ物屋さんが多かったけど、お餅屋さんや下駄屋さんもあった。でも、住み替えで、みんなよそへ引っ越して行ったんだ」

──生まれはどちらですか。

「津軽半島の陸奥湾に面した外ヶ浜で、昭和9年生まれ。親は漁師をやりながら、自分のところで食べる分だけ、畑もちょこっとつぐってた。兄弟は男がふたりに、女5人で、私は末っ子から2番目です」

──戦争の記憶はありますか。

「戦争の終わったのが尋常小学校の5年生か6年生の頃だったから、憶えてます。外ヶ浜には海軍がいて、龍飛岬にも砲台があったから軍人さんはよぐ見てたし、戦後はアメリカ軍が来てた。戦争中、私らは空襲には遭わなかったけど、みんなで防空壕さ入ったことは憶えてます」

──青森へはいつ出てきたのですか。

「新制中学を出てから、こっちへ働きにきたの。戦争が終わって昭和25年頃、船に乗って出て来た。その頃は外ヶ浜の龍飛(旧三厩村龍飛)から、陸奥湾のあちこちを寄りながら青森港まで行く汽船があったんです。

青森港は北海道から運んでくる石炭の陸揚げがあったし、連絡船もあったから空襲があってさ、街はほとんど燃えてしまってた。私はそんな青森で店員をして働きだしたの」

──焼け跡の闇市の時代ですね。

「私がお勤めしたのは、洋服とか何でも売るお店で、今はもうなぐなったけど、お店は駅前の新町通りにもあったし、柳町通りにもあって繁盛してた。30歳で結婚するまで、そこで働いだから、12~13年はいたのかな。そのときに憶えてるのは今の天皇陛下が結婚(昭和34年)されたことと、ダッコちゃんのブーム(昭和35 年)。その頃の青森駅前は、闇市から長屋みたいな小さなお店がいっぱい並んでりんごを売る“りんご市場”に変わって、飲み屋さんもいっぱいできてきたんです」

──はる江さんはモテたでしょうね。

「アハハ、モテないよお。部屋を借りて、ひとりで生活して、遊びに行くこともねかった。お酒も飲まねし、遊びたいとも思わねかった。だから、30歳まで結婚もできねかった。私はさ、見ての通り社交的でながったから」(笑)

「開店前にインスタントコーヒーを淹れて飲むのが、幸せなひととき」

“はる江食堂”の全景。今は記憶に遠くなった昭和の一時代の風趣を伝え残す、路地裏の屋台風の店だ。はる江さんは、冬の寒気の中でも店先を開け放ったまま営業。撮影/宮地 工

──旦那さんとはどういう出会いでしたか。

「旦那の妹さんが、私と同じお店で働いていたんさ。妹さんに用があって店をのぞいたときに、私を見て一目ぼれしたんだと(笑)。

結婚して10年ぐらい経って、お姑さんに店を譲ってもらって働くことにしたのは、旦那の収入があんまりなかったから。セールスマンなのに、うまく喋れねえほうだもんで。

ほら、金庫みたいな、いまだば何だべ……。あぁ、レジスターだ。あれを売り込まなきゃなんねえのに、旦那は口べたなもんで、なかなか商売にならないのさ。商品を仕入れて売り歩いてもお客がとれないから、ぜんぶ借金になっちゃった。その借金を返すのもあって、私が働がないといけなくなったの」

──お子さんはいますか。

「ふたりいます。今みたいな保育園もながったから、子供たちを育てながら働いたのさ。

その頃は、店にお客さんが多く来て忙しかった。朝早くから、夜は6時半過ぎまで働いでた。お客さんは市場で働く人や買い物に来る人たちで、最初は見よう見まね。夢中で頑張ったけど、私も社交的でないから大変だった。脂っ気もぬけた今は、口べたに見えないかもしれねぇけど」(笑)

──店のたたずまいは昔のままですか。

「私が引き継いだ頃となんも変わってない。店先の庇のとこだけ、3年前に取り換えた。雪の重さで“ドーン”と壊れてしまったの。

店は昔のまんまだけど、お客さんは減ってる。ここ2~3年で、急に減った。長い付き合いのお客さんは、もう歳をとって来れねくなったし、いまどきの若い娘っこは車でスーパーとかに行ぐからね。寒いば来ねえし、今は暇だば。“働けど働けど”さ。それでも、年金をもらったときに来る人は結構いるよ」

──それは、ひとり暮らしのお年寄りですか。

「家族と住んでてもさ、食べ物が合わねからって来るんだ。自由に使えるおカネが入れば、ここさ寄る。そのついでに、お喋りに来るじゃ。私も来れば、話さするし」

──一日の過ごし方は?

「朝は4時に起きて、毎日やることは神様にご飯をお供えすることと、自己流の体操だ。腰を回したり、手足を“うーん”と伸ばしたり。自分で“いいな”、って思うことを勝手にいろいろ取り入れてやってるんです。

6時8分のバスに乗るんで、家は5時55分に出る。店さ着くのは6時半頃。それから店を開ける用意をして、9時半頃から営業開始です。午後は3時半頃から少しずつ片づけ始めて、4時過ぎに閉店。

朝はさ、開店の準備をしながら、ご飯を炊く前に必ずコーヒーを淹れて飲むんだ。それが私にとって、“仕事を始めるぞ”と気合を入れて、自分を励ます合図みたいなもんです」

──コーヒーが好きなんですか。

「そうだ。コーヒーはさ、若いときから好きだじゃ。初めて、コーヒーを飲んだのは青森へ出てきて働いてた20代の頃。

『キャンドル』とか『ラヴェル』とか『アマンド』とか、街に美味しいコーヒーを飲ませる喫茶店ができ始めてた。でも、私はそういう洒落た店に行って飲んだわけじゃないの。その頃からインスタントコーヒー。でも、昔はすごくハイカラな飲み物だったんだよ。

今もそうだじゃ。毎朝、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れて飲むときが、すごく幸せなひとときだ」

──大きな病気をしたことはありますか。

「大腸を7年前にちょこっと取った。そんときは1週間で退院したけど、お医者さんに“骨粗鬆症気味だから、運動をしなさい”って言われて、家の周りを少しばかり歩いたけど、2~3周回ると飽きちゃうの(笑)。

2か月くらいはやってたけど、私はいつも仕事でずっと立ってるし、動いてるから“いいや”と思ってやめてしまった」(笑)

「私は楽をしてないし、一日中働いてるから、なんぼでも眠れる」

「ばっちゃん、肩もんでやるか」。青森一と評判の鮨の名店『寿司一』の主人・横沢勝美 さん(70歳)とは、20年以上の付き合い。この朝も“はる江食堂”に顔を見せた。撮影/宮地 工

──『寿司一』さんとは仲良しですね。

「イッちゃんは、朝の仕入れが終わると、ここさ顔を見せるんだ。そのときにイッちゃんが、店のお客さんで東京や京都の偉い人たちを一緒に連れてきては、お酒を持ち込んで、よく酒盛りしていぐんだ。テレビや雑誌の取材の人もイッちゃんから聞いてくるみたいで、私は、本当は取材はあんまり受けたくねけど。

イッちゃんは正直、面倒くさいときもあるよ(笑)。この頃は少しおとなしくなったけど、昔は本当に我儘でさ。なんぼでも私の悪口を言う。もう言いたい放題、言ってくんだ。よその店でそんなこと言ってると、すぐ出入り禁止だじゃ。だけども、私はなんもうるさいこと言わないから、ここへ来て自分の店じゃ言えねえことを言って、憂さばらしをして帰るんです」(笑)

──イッちゃんの店には行きましたか。

「ない、ない。行ったことありません。ああいう高級な所は“入るべからず”だ」(笑)

──好きな食べ物はなんですか。

「何でも食べるけど、肉は食べない。肉は昔から嫌いです。だけど魚なら何でも食べる。小骨があるところも好きなんだ。ただ、鮫とか、ニュルニュルした鰻とかは苦手。それ以外の魚は何でも好きで、煮ても焼いてもいい。私の元気の秘密は魚です」

──遊びに出かけたりはしませんか。

「東京で働いてる娘と広島さ一緒に行ってきたことはあるけど、それだけ。あんまり出かけたくない。あちこち歩きたくないんだ。休みのときは、家で寝てるのがいちばん(笑)。

私、なんぼでも眠れるよ。寝るのがいちばんいい。だから、休みの日は一日中寝てる。よく、歳をとると長く寝てられないっていうけど、それは普段、楽してる人の台詞だじゃ。私は働いてるから、なんぼでも寝てられるし、トイレに起きたこともない。朝までぐっすり」

──趣味とか、楽しみはありますか。

「楽しみは何だべ、何もねんでないかな。本も読まね。週刊誌とかはたまに見るけども。テレビは時代劇が好きだけど、チャンネル権は私にはないから、一緒に住んでる息子の好きな番組を観るだけ。昔は旦那にチャンネル権があったけど、もう十三回忌が終わったとこ。チャンネル権は息子に移ってます」(笑)

──民謡を歌うとか、カラオケもしませんか。

「そんなことしない、しない。歌わね(笑)。私は“働けど働けど”で生きてきた。それだけだ。昔は貧しかった。今はみんな、贅沢だ。おカネの遣い方をみてると本当にそう思う。着るものも、1年も着たら投げてはるじゃ。私らの時代はそうじゃない。着るものはさ、大きい兄弟から順に下へ回して着ていたもんだ。それが当たり前だと思ってきたし、だから楽をしたいとかも思わねんだ。私は死ぬまで“働けど働けど”、さ」

──店はいつまで続けますか。

「継ぐ人はいねえけど、ここは私の実家みたいなもんです。それに、私は年金がないから、働かなきゃいけない。いずれ息子の世話には必ずなることだから、自分が働けるうちは店をやっていこうかなと思う。いつまでできるかはわからねえけど、息子や孫に苦労はかけたくないから、生きてる限り、この店をやっていこうと思うんだ」

●横山はる江(よこやま・はるえ)
昭和9年、青森県生まれ。生家は津軽半島の外ヶ浜の漁師で7人兄弟の6番目。戦後の昭和25年、中学卒業後に青森市へ出て、衣料雑貨の店員として働き始める。同38年、30歳で結婚。40歳を機に姑が戦後間もない時期から続けてきた『横山商店』の権利を譲り受ける。以後、“はる江食堂”の通称で、各種の手作り惣菜を商い続けて今に至る。人気の焼きおにぎりの味わいとともに、昭和の名残を伝える店の風趣もまた戦後世代には懐かしい。

【横山商店(通称“はる江食堂”)】
青森市古川1-11-16 青森魚菜センター裏 

電話:なし 
営業時間:9時30分頃~16時頃 
定休日:日曜ほか不定休

※この記事は『サライ』本誌2018年4月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/宮地 工)

 

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