ファストファッション全盛時代のさなかにあって、高級メンズスーツのフルオーダー技術を学べる講座が文化服装学院の公開講座として登場した。

1級技能士や現代の名工たちが自らの技を次世代に伝えることを目的に開講した「高級メンズ テーラー技術」には、仕立ての世界に魅せられた人々が集う。

テーラーと聞いて映画『仕立て屋の恋』のような屈折した禁断の世界を想像してドキドキするも、そこには技の伝承に情熱を注ぐ、80歳前後(“アラ80”)の熱い匠たちがいた!

受講生一人ひとりの進度とレベルに合わせてマンツーマンで指導

■毎週4時間、年28回でスーツを

フランス映画『仕立て屋の恋』を観た人は、テーラー=仕立て屋と聞いて、超几帳面で寡黙で、(向かいの家に住む女性の生活を覗き見する……など)なにやらイケナイ連想をしてしまうかもしれない。私もこれまで高級テーラーとはまったく縁のない生活をしてきて(これからもだろうが)、テーラーのイメージはかなり偏ったものになっている。

俳優の渡部篤郎が、とあるテレビ番組で大のお気に入りというフルオーダーメイドのスーツに身を包み(もちろん靴も時計もスーツに見合う超高級品)、銀座の高級寿司店で食事をしていたのだが、そのいでたちは寸分のスキもなく、カッコよすぎて逆に引くというワケのわからない感情に陥ってしまったこともある。

文化服装学院のBUNKAファッション・オープンカレッジ「高級メンズ テーラー技術」は、紳士服製造一級技能士や現代の名工たちが一流の縫製技能を次世代に伝えたいと発起し、7年前に開講。土曜日の午後4時間、1年間28回にわたってジャケット、スラックス、ベストなどの紳士服を完全ハンドメイドで制作する。数ある講座の中でも難易度が高い、しかしディープな内容だ。2016年度の講座は30~50代の男女11人が受講し、それに対して講師は3人という超ぜいたくな体制で行われた。

そして、この講師陣がすごい! それぞれが高級テーラー店主であり、国家検定の紳士服製造1級技能士。『仕立て屋の恋』の無口な主人公イールとは大違いで、お三方とも朗らかでお話し好き。当たり前だが仕立てのいいスーツをビシッと着こなし、はつらつとして姿勢も立ち居振る舞いも美しく、熟練した男性としての色気がプンプン漂う。

白瀬一郎先生(79歳)は全日本洋服協同組合連合会顧問で、この講座の発起人のひとりでもある。ボタンつけが致命的に下手くそな私に、素晴らしい指さばきで、ボタンつけの技を教えてくださった。

表のボタン側の離れた部分から縫い始め、ボタンから離れると、表側にぽつんと玉どめがある状態だ。え、これでいいの!? と思いきや、その後、ボタンと布地の間の糸をしっかり固定。最後にその玉どめも切ってしまった。それでも糸は緩まない。さらに玉どめもどこにもない!

まさに「神ってる」ボタンつけの技に、すごいとしか言いようがない。正直、私に再現できるかはかなり怪しい。

素晴らしい指さばきは見ているだけでほれぼれ

白瀬一郎先生

■指揮者ならピアニストなら

亀岡良典先生(82歳)は1級技能士全国競技会で2位を受賞した凄腕にも関わらず、ニコニコとかわいいおじいちゃまといった風貌で、「この講座で指導するようになって、教えることの難しさを実感しました。夢にまで見るんですよ。自分も勉強になってます」と、とても謙虚。

亀岡良典先生

宮坂信弘先生(75歳)は数か月先まで予約が取れないカリスマテーラーだ。趣味は50年続けている合唱。「今どき、燕尾服をつくるなんて音楽関係者ぐらいしかいないから、趣味が実益を兼ねてるの(笑)。指揮者が着るなら腕を上げたときにもジャケットが引きつれないように、ピアニストなら袖が演奏の邪魔にならないようになど、着る人に合わせて細部まで調整して仕立てるんです」とは、もう想像もつかない。

宮坂信弘先生

このそうそうたる匠たちが、技能伝承と人材育成のために並々ならぬ情熱を注ぎ、文字通り手取り足取り指導してくれるのだ。しかもほぼボランティアで! 受講料16万円は、決して誰もがポンと出せる金額ではないが、受講生がみな声をそろえて「安い」という。なぜなら、1回に換算すると6000円弱。講座の内容が、これはお得すぎるのではないかと思わせるハイレベル&充実ぶりなのだ。

「仕立て屋は職人の世界。本来は遅くても15~16歳くらいから修行をはじめないと仕立て屋の手にならないんですよ。でも、ここに通うみんなは頑張って、それなりに仕立て屋の手に近づいてますよ」と白瀬先生。

■仕立て屋の手って、どんな手!?

白瀬先生曰く、「器用というだけでは表しきれない、針や指ぬきなどの道具が自分の手のようになじんで、生地を思い通りに操れる手のこと」だそうだが、生まれつき仕立て屋に向いた手というのもあって、見た目でもある程度わかるという。「たとえば彼の手がそうだね」と指差された30代の男性受講生の手を見せてもらうと……なるほど! 指がすっと細く長く、いかにも繊細で……、エロチックじゃないか!

これが「生まれつき仕立て屋に向いた手」だ

教室を訪ねた日は講座の最終日で、受講生たちは広い作業台にのせた仮縫い中の服地に鼻をくっつけんばかりに黙々と作業をしていた。実は、1年間では完成しない人がほとんどで、これからは個々に先生方の元へ通っての補習授業になるという(これまたボランティア)。

意外なことに、受講生のうち洋服製造の仕事についているアパレル関係者は約2割。30代後半で仕立て屋を目指して仕事を辞め、修行中という求道者のような人もいるが、モノづくりの趣味が高じて高級テーラーの世界にハマってしまった人も多い。

ハードルが高いほどモチベーションが上がるそうで、先生の情熱も、生徒のハマり方も、ディープ過ぎて萌えてしまう。別世界と思っていた高級テーラーだったけれど、この技術と熱は絶対に絶やさないでほしい。仕立て屋の恋ならぬ、仕立て屋に恋してしまいそうだ。

※この記事は小学館が運営している大学公開講座の情報検索サイト「まなナビ」からの転載記事です。(文・写真/まなナビ編集室、2017年3月11日取材)

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