今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「新刊の書籍を面白く読んだ時、その著者に一言を呈するは礼であると思います」
--堺利彦
堺利彦の夏目漱石あて書簡(明治38年10月28日付)に綴られたことばである。文面は、さらにこうつづく。
「小生は貴下の新著『猫』を得て、家族の者を相手に、三夜続けて朗読会を開きました。三馬の浮世風呂と同じ味を感じました」(中島国彦・長島裕子編『漱石の愛した絵はがき』より)
漱石の処女作である『吾輩は猫である』の第1回の原稿が雑誌『ホトトギス』に掲載されたのはこの年の1月。たちまち評判となり、1回だけの短篇のつもりが、次々と続篇が書かれ、思わぬ長篇となっていった。
友人知己からは、多くの書簡で感想が寄せられた。
だが、漱石と堺利彦とは面識も交流もない。だから、葉書の表面の宛て名書きも「本郷帝国大学/文科大学/夏目漱石様」とのみ記される。
明治の読書人の律儀さと、知識階級の間に流れるある種の仲間意識のようなものが読み取れて興味深い。
堺利彦は、幸徳秋水らと平民新聞を立ち上げた社会主義者。枯川と号した。
堺は自身の飼い猫に「ナツメ」という名前をつけていたという。この猫の名前が原因で、堺利彦が電車賃値上げ反対のチラシを配る行列に加わったとき、そこに堺の妻とともに漱石夫人の鏡子も参加していたという誤報が都新聞に掲載されるという出来事もあった。
知人からこのことを知らされた漱石は、
「電車の値上には行列に加らざるも賛成なれば一向差し支(つかえ)これなく候。小生もある点に於て社界主義故(ゆえ)堺枯川氏と同列に加わりと新聞に出ても毫(ごう)も驚く事これなく候」
と返書(明治39年8月12日付)にしたためている。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。