どこから出てきたのか。足軽あがりのその者には稀なる才が宿っていた。その才を持って、民草(たみくさ)から天下人へと駆け上がった、日本史上ただひとりの男。豊臣秀吉。その謎に満ちた生涯を、解き明かす。今回は数多ある軍略の中から「物量作戦」について解説。

四国攻め(1585年)

4万の秀長軍に落とされた一宮城跡

一宮城は麓からの比高120mの天険の山城で、1万近い長宗我部方の兵が守備していた。しかし4万を超える羽柴秀長軍に攻められ、あえなく落城した。城跡は石垣がよく残る。写真/PIXTA

敵将:長宗我部元親(1539~99)

土佐の戦国大名。土佐を統一したのち、四国全土もほぼ手中にするが、秀吉の遠征軍に敗れて土佐一国のみを与えられた。秀吉の九州攻め、小田原攻め、朝鮮出兵などに参陣。61歳で死去した。東京大学史料編纂所蔵
写真/東京大学史料編纂所

土佐の戦国大名・長宗我部元親は天正3年(1575)に土佐一国を統一したのち、伊予、阿波、讃岐へ進攻し、天正13年には四国全土をほぼ手中にした。天下統一を目指す秀吉は元親の四国領有を許さず、伊予と讃岐を手放すように命じたが、交渉は決裂し、秀吉は四国への派兵を決定する。

しかし秀吉は、体調不良を理由に自身は出陣せず、弟の秀長を総大将に任じた。秀吉の代理を務めるまでになった秀長について、小和田さんはこう語る。

「大軍の総司令官を務めるとなると、一部隊の将とは比べ物にならないほどの分析力、決断力、精神力が必要です。秀長は長年、兄秀吉の側にあって、それらを肌で学んだのではないでしょうか」

秀吉の事業に秀長が欠かせなかったのと同様に、秀長もまた秀吉あってこその存在であった。

3方面から大軍で攻め寄せる

羽柴軍は淡路島経由の秀長・秀次勢、讃岐経由の宇喜多秀家勢、伊予経由の小早川隆景勢の3手に分かれて四国を進軍。要衝の一宮城を陥落させ、長宗我部元親に降伏を迫った。

秀長は秀吉から10万の兵力を預かると、一門衆の扱いとなっていた宇喜多秀家、すでに臣従していた小早川隆景らに命じ、阿波、讃岐、伊予の3方面から四国に上陸。圧倒的な物量で各地の城砦を次々に撃破した。頑強に抵抗する阿波の一宮城攻めでは、秀長は水源を断って兵糧攻めにするなど、兄ゆずりの城攻め巧者ぶりを発揮している。

一宮城が落ちると、長宗我部元親が籠る白地城は風前の灯火となり、当初は徹底抗戦を主張していた元親も家臣の説得によってついに降伏。秀吉の一大名として生きてゆく。

九州攻め(1587年)

島津氏は九州南部に追い詰められた

島津義久が豊臣軍に備えて前線基地とした都於郡(とのこおり)城。もとは島津氏と長年抗争した伊東氏の本拠地で、九州でも有数の規模を誇ったが羽柴秀長によって攻略された。写真/Photolibrary

敵将:島津義久(1533~1611)

島津氏は鎌倉時代に4か国の守護職に任じられた武家の名門。島津義久は島津氏16代当主。弟の義弘らとともに九州を席巻し、九州統一の目前で秀吉に屈した。その後は義弘に国政を預けて隠居し、79歳で病没した。写真/Photolibrary

中央で秀吉が天下人としての地盤を築き始めていた頃、九州では薩摩国の島津義久・義弘ら4兄弟が、肥前の龍造寺隆信と豊後の大友宗麟を圧倒し、残すところあとわずかで九州全土統一という段階まで迫っていた。虫の息の大友宗麟は、恥を忍んで秀吉に援軍の派遣を要請した。これを受け入れた秀吉は、天正15年(1587)、九州平定に乗り出した。

九州攻めも、戦う前から勝敗は見えていたと小和田さんは言う。

「秀吉軍は四国攻めの2倍の兵力、約20万という大軍でしたから、島津は圧倒的に不利です。個々の武将の力量でいえば、島津勢は立派な武将がそろっているのですが、やはり最後は兵力がものをいいますね」

九州統一の悲願を打ち砕く

秀吉と秀長は小倉に上陸し、東西に分かれて進軍。島津勢は日向の根白坂で大敗すると、降伏の意思表明をする。当主・島津義久は薩摩国の川内で秀吉に謁見し謝罪した。

四国攻めに続き、九州攻めにおいても秀長の活躍は目覚ましかったと小和田さんは言う。

「日向路と呼ばれる宮崎県側の進攻を秀長が担当したのですが、日向の根白坂というところで、総力をあげて来襲した島津勢に大勝し、戦局が決定的になり、島津が降伏する流れになりました」

こうして薩摩国北部の泰平寺(薩摩川内市)に下向した秀吉のもとに、剃髪した島津義久が謝罪に訪れて降伏。ついに秀吉は西日本のすべてを手中に収めた。

「長宗我部元親も島津義久も、戦国屈指の名将ですが、最後は頭を下げた。その点、このあとの小田原北条氏は最後までそれを拒んで滅亡した。一族の矜持を示すのか実利をとるのか。難しい決断です」

小田原攻め(1590年)

小田原城は日本最大規模の城

小田原攻め当時の小田原城の復元イラスト。秀吉の襲来に備え、城下町を堀と土塁で囲む“惣構”を構築。中央の小高い部分が本丸。川と山と海に囲まれた鉄壁の要塞だった。イラスト/香川元太郎

敵将:北条氏政(1538〜90)

小田原北条氏4代目。謀略に長け、北条氏の最大版図を築いた。織田信長には恭順したが、秀吉とは敵対。秀吉の大軍で小田原城を包囲され降伏。氏政は切腹して果て戦国大名の北条氏は滅んだ。小田原城天守閣蔵
写真/小田原城天守閣

秀吉は関白に就任するとともに大名同士の私的な戦闘行為を禁じる「惣無事」政策を推進した。秀吉の許しを得ないで領土紛争を起こしたら征伐するという名目を立てて天下統一を目指したのだ。

天正17年(1589)11月、秀吉は惣無事政策に違反したとして、小田原の北条氏直に宣戦布告状を突きつけた。小田原北条氏は5代目当主の氏直の父の4代氏政が依然として実権を握っていた。

秀吉は臣従する大名に総動員をかけて小田原攻めの大軍を編成した。徳川家康をはじめとする東海道の先遣隊と秀吉本隊、前田利家・上杉景勝らの北国(ほっこく)勢、水軍など合わせて22万にものぼる史上空前の大軍が関東へ向かった。

小峯御鐘ノ台大堀切(神奈川県小田原市)。尾根を分断して構築された防御設備で、小田原攻めに備えて築かれた惣構の一部。

北条氏が秀吉に従わずに戦う道を選んだのはなぜなのか。小和田さんはこう語る。

「秀吉に対する評価が低かったのでしょう。小田原北条氏は、初代の伊勢宗瑞(北条早雲)以来、しっかりとした領国経営を行なってきました。しかも小田原城は、かつて上杉謙信や武田信玄に攻められたときも撃退しています。だから“なにも俺たちが秀吉ごときに頭を下げる必要はない”という思いを持っていたのでしょう」

その矜持を胸に、北条一族は関東一円の支城に散って豊臣勢を待ち受けた。しかしそこで彼らは、想像をはるかに超える圧倒的な物量の差を思い知らされるのだ。

実際の戦闘では、箱根の手前にある山中城が豊臣秀次の約7万の軍勢に半日で落城し、関東屈指の山城の八王子城は前田・上杉ら北国勢と激戦を交えたが、わずか1日で落城した。

徳川家康、豊臣秀次らの東海道勢は山中城を落として小田原城を包囲。北国勢は鉢形城、八王子城などの支城を次々と攻略。石田三成らの別動隊は関東東部を巡り恭順を説いた。

関東各地で北条氏の支城が各個撃破されていくなか、秀吉は小田原城を見下ろす笠懸山に城を築き始めた。石垣山城である。

「たんなる砦ではなく、小田原攻めの本陣として、石垣も積んだ本格的な城です。この城に諸大名の女房を呼ばせたり、秀吉みずから側室の淀殿を呼び、城中で茶会を催したりしています。小田原攻めは天下に秀吉の力を見せつける大パフォーマンスだったのです」

秀吉は小田原城の対面の山に石垣山城を築城。3か月たらずで完成したことから“石垣山一夜城”とも呼ばれる。写真は石垣山城跡から小田原城方面の展望。写真/Photolibrary

秀吉は“一夜”で城を築いた

石垣山城跡の石垣。秀吉が関東で築いた唯一の城。写真/Photolibrary

石垣山城の出現は、氏政・氏直に精神的な圧力を充分に与えたことだろう。籠城3か月、ついに氏直は降伏した。氏政と弟の氏照は切腹、氏直は高野山に追放された。

小田原攻めに続いて秀吉は東北の大名たちの配置替えなどの処分を行ない、天下統一は成った。

小田原駅東口近くにある北条氏政・氏照の墓所。氏照は氏政の弟で八王子城主。城下で切腹したふたりはこの地に葬られたという。写真/Photolibrary

解説 小和田哲男さん(静岡大学名誉教授)

昭和19年、静岡県生まれ。専門は日本中世史。日本城郭協会理事長。NHK大河ドラマ『秀吉』『軍師官兵衛』『どうする家康』などの時代考証を担当。著書に『豊臣秀長』『戦国武将の叡智』など多数。撮影/今井一詞

取材・文/上川畑 博 イラスト/さとうただし 地図/モリソン

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