極寒の最上川に6時間入る
ピン子さんが国民的俳優になった背景には、猛烈な努力があった。あとは、その独自の存在感だ。当時、女優といえば、美しく浮世離れした人が多かった。ピン子さんの強みは、全国各地を漫談で周った経験から、庶民の生活と人の裏表や生き方の美しさが、体に叩き込まれていることだ。
「ある監督から“農村や漁村の生活を表現できる女優”と言われたんですよ。その結晶が橋田ママ(脚本家・橋田壽賀子さん〈1925- 2021年〉)のNHK朝の連続テレビ小説『おしん』(1983-1984年)につながっていった。
最初にお話をいただいたのは、大河ドラマ『おんな太閤記』(NHK総合 1981年)の後に、ママから“子殺しの話を書く。あんたに母親を演じてほしい”と言われたんです。おしんの母・ふじは、極寒の川の中に入り、自ら子供を堕胎します。
その場に、西田(俳優・西田敏行さん〈1947-2024年〉)もいて、“そんな役を演じる機会は滅多にない。厳しくても吹き替え(代役)せず、お前が川に入れ。女優魂と根性でやれ”って言う。すると“やってやろうじゃない”となるのが泉ピン子。でもあれは大変だったわよ」
撮影は2月の山形県の最上川、雪の中行われた。気温はマイナス1℃、川は凍りかけていた。ウエットスーツはなく、ほぼ衣装のまま、川に入った。
川に入って6時間、命がけで撮り続けました。川に流されそうになりながら、顔も体も真っ青でしたよ。あれほどきつい撮影は、俳優人生50年でやったことがありません。おしん役の小林綾子と2人、よく頑張ったと思います。
周辺には旅館もないから、地元の方にお世話になった。あの撮影の後にお風呂に入ったのですが、入った瞬間は、水風呂なんですよ。驚いていたら、世話してくれたその家のお嫁さんが、“急に温かい風呂に入るとヒートショックになるから”と。そこから徐々にあっためてくれました」

決死の覚悟で挑んだ『おしん』は大ヒット。平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%(ビデオリサーチ調べ)と驚異的な視聴率を叩き出す。今は世界60か国で繰り返し放送されている。
「影響力もすごくてね。NHKに“おしんに食べさせてくれ”って米一俵が届いたり、私が演じたふじ宛てに100万円が送られたこともあったな。それは局員の方が送り返しちゃった。どうせなら、私の家に送ってくれればいいのにね(笑)。

その後、橋田ママと私は、世界中いろんなところに旅したのですが、私はどこに行っても“おしんマザー”と歓迎される。ドラマの影響力を痛感したのは、エジプトで宝石を見ていたとき。お店の人が“これは貧しいおしんマザーには買えない。目の毒だから”とショーケースを引っ込められちゃった。
どこに行っても“おしんマザー”がもてはやされるから、橋田ママは“本(脚本)を書いたのは私なのに”と文句を言っていましたよ」
『おしん』のふじ役で、ボロボロの服を着ていたから、実生活では美しいものを着たいとファッションにハマった。
「パリのシャネルやエルメスの本店で、たくさんオーダーしました。かつて、“シャネラー”なんてバッシングされたけれど、私はロゴのものはほとんど持っていないのよ。シャネルの服はシンプルで美しいことが魅力。袖を通したときの、デザインとシルエットの美しさにハートをつかまれちゃったのよ。
エルメスのバーキンやケリーも、ほれぼれするほど美しい。何十個も持っていましたが、1回目で言ったように、多くを友人や後輩に譲りました。
そんなに買ってもね、この歳になると、革のバッグを使いこなすのが大変。だから、ナイロンのリュックやポーチを愛用……と言いながらもね、この前、ルイ・ヴィトンで大きなバッグを買っちゃった。だって可愛いんだもの。物欲がなくなったら人間、おしまいよ。終活なんて考えずに、好きなものを買い、使っていたほうが元気になるから」
ピン子さんは常に一生懸命、全力投球だ。素顔で生きているから、多くの人が手を差し伸べ、受けた恩は還元している。3回目に続きます。
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取材・文/前川亜紀
