松平定信の老中就任と高岳の退任
松平定信が老中に就任する際、将軍・徳川家斉から意見を求められた高岳は、御年寄の滝川とともに反対する姿勢を示したそうです。理由として、定信の実妹である種姫が10代将軍徳川家治の養女であったため、将軍家の縁者が幕政に参与すべきではないという考えがあったとされています。
しかし、その後、定信は老中に就任。高岳は筆頭老女の職を退くこととなりました。
まとめ
高岳の影響力は、幕政にも及んでいたともいわれています。特に、田沼意次や松平武元といった有力者たちとの関係が、高岳が単なる大奥の管理者にとどまらない存在であったことを示しているといえるでしょう。高岳の活躍は、大奥が幕政の裏側で果たした役割の一端を物語っているようです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
