中宮・彰子と藤原道長の養育
御匣殿の死後、中宮・彰子(あきこ/しょうし)と彰子の父である藤原道長が敦康親王の面倒を見ることになりました。彰子は一条天皇の中宮であり、敦康親王にとっては義理の母にあたります。
元服と昇進
寛弘7年(1010)7月17日、敦康親王は元服し、三品(さんぼん ※親王の位階の第三位のこと)に叙せられました。その後、大宰帥(だざいのそち)に任じられます。これは皇位継承者としての地位を期待されてのことでした。
皇位継承からの遠ざかり
寛弘8年(1011)6月2日、一条天皇の譲位が近づく中、敦康親王は一品(いっぽん)准三宮に任じられました。本来であれば皇太子に立てられる可能性が高かったものの、藤原道長の政治的思惑により、異母弟であり道長の外孫でもある敦成親王(あつひらしんのう/後の後一条天皇)が東宮(とうぐう ※皇太子の称)に立てられました。
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