大河ドラマや時代劇を観ていると、現代ではあまり馴染みのない言葉が多く出てきます。完璧に意味を理解していなくても、番組を楽しむことはできますが、セリフの中に出てくる歴史用語を正しく理解している方が、より楽しく観ていただけることと思います。

【戦国ことば解説】では、戦国時代に使われていた言葉を解説いたします。言葉を紐解けば、戦国時代の情景をより具体的に思い浮かべていただけます。より楽しくご覧いただくための⼀助となることができれば幸いです。

さて、今回は「鷹狩(たかがり)」という言葉をご紹介します。「鷹狩」は、古来より伝統行事として親しまれていたということはご存知でしょうか。まずは「鷹狩」の意味についてご説明いたしましょう。

⽬次
「鷹狩」とは?
「鷹狩」の歴史
戦国大名に愛された「鷹狩」、その後
最後に

「鷹狩」とは?

「鷹狩」とは、鷹などの猛禽類を使用した狩猟のことを言います。なお、鷹は鶴や鴨、雉(きじ)や兎の捕獲に使用し、鷲(わし)は狸や狐、隼(はやぶさ)は雁や鳩の捕獲に使用するなど、獲物によって使い分けがされていたそうです。

ところで、鷲や鷹は見た目がよく似ていて、区別がつかないという方が多いのではないでしょうか。鷲と鷹は同じタカ目タカ科の鳥ですが、鷲の方が鷹より大きいという違いで大まかに分類されています。しかし、種類によっては鷲より大きい鷹や、鷹より小さい鷲なども存在し、例外が多いのです。

鷲と鷹を見分けるわかりやすいポイントとして、次の3点が挙げられます。鷲の尾は直線状であるのに対して、鷹は扇状に広がっていること。鷹には鷹斑(たかふ)と呼ばれる独特の模様が入っていること。鷲は羽ばたいて飛ぶように見えるのに対して、鷹は気流に乗って飛ぶため、滅多に羽ばたかないこと。

そして、鷹の飼育係として重要な役割を果たしたのが「鷹匠(たかじょう)」。鷹匠は、まだ若い鷹を捕獲して訓練を行い、訓練では鷹を獲物に向かって放ち、捕獲して戻るまでの一連の動作が繰り返されたそうです。

鷹匠
『鷹匠』(鳥園斎栄深 画)

鷹匠は江戸幕府の職掌であり、将軍の鷹を預かっていた鷹匠は、庶民にとっては非常に権威のある存在でした。また、鷹匠と関係が深い職掌として、鷹場(たかば、大名が鷹狩を行う場所)を巡検して野鳥の状態を確認する「鳥見(とりみ)」があります。

「鷹狩」の歴史

家康が好んだ行事として有名な「鷹狩」ですが、その歴史は非常に古く、新石器時代に中近東で発生して伝播したと考えられています。日本には、古墳時代の仁徳天皇の代に、現在の朝鮮半島に位置する百済(くだら)から伝来したという説が有力です。

奈良時代に成立した『日本書紀』に、鷹狩についての記載が見られます。当時は兵部省(ひょうぶしょう、武官の人事や軍事に関する諸事を担当する省)のもとに、鷹の飼育を担当する主鷹司(しゅようし)が置かれていたそうです。

その後、殺生禁止という仏教思想の影響を受けて、度々規制されることもありましたが、奈良・平安時代において、鷹狩は一大ブームとなります。平安時代、儀式典礼に関心の深かった嵯峨天皇によって、鷹狩の技術書である『新修鷹経(しんしゅうようきょう)』が作られました。続く天皇の多くが鷹狩を好んだこともあり、公式の狩場まで定められることとなったのです。

平安時代までの鷹狩は、天皇や貴族のための娯楽という位置づけでしたが、武士が台頭した鎌倉時代以降は、武家社会においても鷹狩が行われるようになりました。信長や秀吉も鷹狩を好み、信長の一代記である『信長公記』には、信長が各地で鷹狩を行っていたという記載があります。

特に家康が鷹狩を非常に好んでいたことは有名です。家康は、鷹狩の利点として、「適度な運動となり、健康維持に効果的であること」「多くの人数を使うため、合戦の指揮に役立つこと」「山野を駆け巡るため、領内の視察になること」の3点を挙げました。

鷹狩姿の徳川家康公像(駿府城本丸跡)

実際に、関東へ転封された後の家康は、民情視察のための鷹狩を繰り返し行っています。このように、家康は「鷹狩」を単なる娯楽というだけでなく、武士に必要な訓練の一環として見なしていたと考えることができるでしょう。

戦国大名に愛された「鷹狩」、その後

「鷹狩」は、戦国大名のスポーツとして見なされるようになり、鷹狩のための独特な装束が用いられるなど、一つの文化が形成されていきました。江戸時代に入ると、家康が大の鷹狩好きだったということもあり、幕府の年中行事の一つとなります。

3代将軍家光の代では、大名家と将軍家の間で鷹や鷹狩で使用される獲物の贈答が頻繁に行われるなど、隆盛を極めた「鷹狩」ですが、5代将軍綱吉により「生類憐みの令」が出されたことで、殺生にあたる鷹狩は禁止されることに。

その後しばらく鷹狩は停止状態となりますが、8代将軍吉宗の代に制度化して大きく復興します。諸大名も鷹狩を行い、薩摩藩主の島津重豪(しげひで)や松江藩主の松平斉貴(なりたけ)などが、愛好家として有名です。

松平斉貴像(月照寺蔵)

鷹狩は幕末まで頻繁に行われることとなりますが、明治維新後は次第に衰えていきました。しかし、宮内庁には現在も「鷹師」「鷹匠」が存在し、古くから行われてきた鷹狩の面影を見ることができます。

最後に

今回の戦国ことば解説は「鷹狩」について解説しました。天皇や貴族中心の行事から一転、将軍や諸大名中心の行事として隆盛を極めた「鷹狩」。各地で盛んに行われた一方で、鷹狩が行われる鷹野では、立ち入りや鳥獣の捕獲が禁止されるなど、しばしば庶民の生活を圧迫することもあったそうです。

また、鷹狩は単なる娯楽というだけでなく、集団を統率する技術や土地の視察など、武士が身に着けるべき技術を学ぶために行われていたということについても、ご理解いただけたのではないでしょうか。大河ドラマや時代劇で「鷹狩」が登場した際には、より一層興味深く見ていただけることと思います。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/とよだまほ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB

引⽤・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

 

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