三河の一向一揆で家康に敵対する

昌久の家康に対する反発行為は、岡崎入城への反対だけでは終わりませんでした。永禄6年(1563)に起きた三河の一向一揆では、昌久は一揆側に与し、東条城(とうじょうじょう)に籠城して家康に抵抗。ただし、大草松平家の宗派は浄土宗であるため、信仰が要因ではないと見られます。以前からあった安祥松平家への対抗心が、要因の一つだと考えることができるでしょう。

三河の一向一揆の様子(『大樹寺御難戦之図 三河後風土記之内』月岡芳年筆)

最終的に、昌久がたてこもった東条城は陥落。昌久は出奔して行方不明になり、大草松平家は消滅したと思われました。しかし、昌久の子孫の康安(やすやす)は、のちに家康方の家臣として仕えることになります。康安は三方ヶ原の戦いや長篠の戦いなどのさまざまな戦いに参加、家臣として重宝されることに。大草松平家の再興となったというところでしょうか。

まとめ

昌久は行方不明になってしまい、どのような最期を遂げたのかは謎に包まれています。三河の一向一揆で一揆側に与したことで、大草松平家は消滅したかに見えました。しかし、昌久の子孫の康安によって大草松平家は再興、歴史に名を残すことになったのです。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/三鷹れい(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)

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