日本には、宗教法人に登録されているだけで約16万もの神社仏閣が存在する。なぜこれほどまで多く存在するのか? それは、日本が四方を海に囲まれ、国土の7割以上が山地という地理と地形が大きな要因の一つである。
国内の神社仏閣のルーツや成り立ちの秘密を、「地形」や「地理」の観点から解説する書籍『カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎』から、出雲大社のなぞを紹介する。
文/古川 順弘 、青木 康
古代日本の最大級の地方勢力
縁結びの神様として知られる出雲大社の起源は神話の時代にまでさかのぼる。現存する最古の歴史書『古事記』と最古の正史『日本書紀』(以下、記紀)には、地上世界・葦原中国(あしはらのなかつくに)を開拓したオオクニヌシに対して、天上世界にいる至高の神・アマテラスが統治権を差し出すことを要求する。これに対して、オオクニヌシは息子たちの同意と自らを祀る巨大な神殿を建てることを条件に国を譲ることを決めた。こうして創建されたのが出雲大社とされる。
記紀が伝えるこのエピソードは、歴史的事実ではなく、あくまで神話とされてきた。というのも出雲地方では長らく大きな考古学的発見が少なかったからだ。ところが昭和59年(1984)に島根県出雲市の神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡から358本もの銅剣が出土した。
さらにその後、16本の銅矛(どうほこ)、6個の銅鐸(どうたく)が発見された。古代出雲は、青銅器文化の一大中心地であり、神話に描かれたように古代日本における最大級の地方勢力だったことが明らかになったのである。
古代出雲大社の大きさは現在の2倍にもなる約48メートル(16丈)もあったという記録が残っている。これを物語るように古代出雲勢力圏だった鳥取県米子市にある稲吉角田(いなよしすみだ)遺跡から出土した紀元前1世紀頃の土器には、巨大な高床式倉庫が描かれている。しかし、数十メートルもの神殿は、木造建築としてはケタ外れであり、研究者でも本気にする人はあまりいなかった。
ところが、平成12年(2000)、大社本殿前の発掘調査中に、直径1メートルもの丸太を3本束ねた巨大な柱の遺構が発掘された。この3本一セットの柱は、出雲国造(こくそう)家に伝わる「金輪御造営指図(かなわごぞうえいさしず)」に同様の図面があることが知られていたが、あまりの大きさから実在性が疑問視されていた。この発見によって、古代出雲大社は、伝承にある巨大神殿だった可能性が格段に高まったのである。
島根半島は日本海の交易の中心だった
では、なぜ古代出雲がこれほど大きな勢力となったのか。その答えが島根半島にある。実は、島根半島はかつて半島ではなく、島であったことが地理学・地質学によってわかっている。当時の出雲地域は現在よりずっと内陸部まで海が入り込んだ地形で、西は八世紀の『出雲国風土記(ふどき)』に記された神門水海(かんどのみずうみ)(現在の神西湖(じんざいこ)を含む一帯)から、東は入海(現在の中海と宍道湖(しんじこ)をつないだ巨大な内海)に至る日本海域最大の潟湖(せきこ)(ラグーン)を擁していた。そして、造船技術の未発達な時代、航海には波穏やかで天然の良港となるラグーンの存在が必須だった。
古代の日本海は、対馬海流やリマン海流の流れを利用して、鉄、青銅器、玉製品などを持った人々が行き来する巨大交易圏を形成していた。そして、大陸から九州北部を経由して海岸沿いを北上する船が最初にたどり着く天然の良港が、出雲の神門水海だった。朝鮮半島南部から出雲までは直線距離にして300キロ程度であり、古代には北九州を経由せずに朝鮮と出雲を直接結んだ航海ルートも盛んだった。
出雲は、先進地域だった朝鮮半島や中国大陸、そして北九州や北陸からもヒト、モノが集まる環日本海ネットワークの要だったのだ。各地の進んだ文化に接した出雲は、やがて独自の文化をつくり上げ、日本海交易を掌握する強力な勢力に成長したのである。
人々が目指した巨大神殿
旧暦十月に出雲大社に集まる神々は、出雲大社に隣接する稲佐(いなさ)の浜から来訪する。このことは港湾都市・出雲の性質がよくあらわされている。出雲は日本海ルートにおける最大・最良の港であり、そのランドマークとなったのが出雲大社だったといえるのだ。
この出雲の命脈ともいえるラグーンは、やがて河川からの土砂の流入によって埋まり、湖となってしまった。潟湖が埋まった時期については諸説あるが、三世紀頃までは東西が海で結ばれた港湾都市としての機能を有していたと考えられる。しかし、斐伊(ひい)川の氾濫などによって出雲水道への土砂の流入が長年にわたり続き、徐々に港の機能を低下させたことで、出雲の海洋国家としての性質は失われていった。
また造船技術の発達によって、それまで潮流が速く航行できなかった瀬戸内海の海上ルートが開かれると、相対的に日本海沿岸ルートの物流量は減ることになった。さらに5世紀になり大型帆船が海上物流の主役になると、人々は出雲を中継することなく大陸や九州北部から対馬海流に乗って敦賀へと一気に航海するようになった。
地形の変化と航海技術の向上の2つの要因から、出雲の港湾都市としての優位性は失われた。また考古学的な研究成果から、古代出雲では何度かの首長勢力の交代があったことがわかっていて、出雲内部での勢力争いが行われていた可能性も高い。いくつもの悪条件が重なり、日本海ルートの海洋国家として繁栄した出雲は、やがて国譲り神話に象徴されるように、ヤマト王権の勢力下に入ったと考えられる。
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『カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎』(古川 順弘 、青木 康 著)
宝島社新書
古川 順弘(ふるかわ・のぶひろ)
神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。宗教・歴史分野をメインとする編集者・文筆家。著書に『古代豪族の興亡に秘められたヤマト王権の謎』(宝島社新書)、『仏像破壊の日本史』(宝島社新書)、『神社に秘められた日本史の謎』(新谷尚紀監修、宝島社新書)、『人物でわかる日本書紀』(山川出版社)、『古代神宝の謎』(二見書房)、『物語と挿絵で楽しむ聖書』(ナツメ社)、『古事記と王権の呪術』(コスモス・ライブラリー)などがある。
青木 康(あおき・やすし)
埼玉県生まれ。学習院大学法学部卒業。神社専門編集プロダクション・杜出版株式会社代表取締役。全国の神社を巡り、地域ごとに特色ある神社の信仰や歴史学の観点から神社を研究・執筆活動を行う。主な編書に『完全保存版!伊勢神宮のすべて』『歴史と起源を完全解説 日本の神様』『カラー版 日本の神様 100選』『日本の神社 100選 一度は訪れたい古代史の舞台ガイド』(いずれも宝島社)などがある。