「瀬戸際の2週間」「正念場の3週間」――。昨年来、政権から繰り返された言葉が、今や空虚さとともに思い出される。今年、4月22日には、「連休中心に集中的対策」と発信され、3回目の緊急事態宣言が発出されたが、功を奏することなく7月12日から4回目の宣言が出された。
その是非はともかく、欧米のように強権的なロックダウンを用いることなくコロナ禍の難局を乗り越えようとするのが日本という国だ。
万葉学の第一人者である上野誠さん(國學院大學特任教授)は、その著書『教会と千歳飴 日本文化、知恵の創造力』(小学館刊)で、「日本的お願い文化」について論じている。その論考をもとに国難下でも展開された「日本的なお願い」について考える。
〈首相をはじめとするリーダーたちは、誰も強権を発動しない。ただ、お願いするのみ。お願いを受け入れた各種団体もまた、下部組織にお願いするのみ。末端組織では、上からお願いされたのでは、「しょうがないね」ということになる。時にはお願いすらもないことがある。その時は、下が上の気持ちを「忖度」することが求められるのだ。この行動パターンが功を奏して、第一波の沈静化に成功したのである〉
令和2年4月7日に7都府県に発出された最初の緊急事態宣言は、4月16日には全国に向けて発出された。5月14日には39県で解除され、最後の一都3県と北海道の解除は5月25日。5月21日には、直近1週間の東京都での感染者数は59人(1日あたり8.4人)と国民の我慢と協力で抑え込みに成功したかに見えた。
ここで、急いで解除せずにもう10日ほど辛抱していたら、Go Toトラベルをもう少し我慢していたら、水際対策をもっと徹底していたら……言っても詮無いことだが、痛恨の極みである。
日本式お願い文化の功罪
その後、令和2年年末から令和3年年始にかけて感染が急拡大し2回目の緊急事態宣言、そして4月25日には3回目と緊急事態宣言が乱発される。
『教会と千歳飴』で上野教授はこう指摘する。
〈その後の第二波、第三波を見るとお願い文化には限界があると思う人も多いだろう。もちろん限界はあるのだが、危機的状況下においても、政治家も官僚も強権発動をためらうところに、むしろ私はお願い文化の根強さを感じてしまう〉
日本の風土に根を張る「お願い文化」。もちろん功罪がある。上野教授は次のように喝破する。
〈お願い文化の強みは、反対派と戦わずに、反対派をしぶしぶながらの協力者にしてしまうところにある。が、しかしそれは、誰も責任を取らずに意思決定するシステムなのだ。(中略)戦争時の大政翼賛会や大日本産業報国会のシステムとまったく同じなのである。だから、大惨事のあと、責任を問おうとすると、一億総懺悔ということになってしまうのである。したがって、お願い文化は、無責任で反省のない意思決定を繰り返す文化であるともいえよう〉
そして、7月12日に発出された4度目の緊急事態宣言に際して、ついに強権が発動される。西村康稔経済再生担当相が、金融機関を通じて、酒類提供の停止に応じない飲食店に働きかけようとする方針を明らかにしたのだ。
これは、政策じたいが悪手だったことで批判の大合唱にさらされ、一夜で撤回という最悪の展開となったが、「お願い文化」の国で「強権発動」しようとした場合にどのような反応がみられるか垣間見ることができた。上野教授はこう解説する。
〈日本においては、強権を発動したリーダーは発動した時点で失格なのだ。日本のリーダーとは、お願いしたり、謝ったりする人のことなのである〉
〈日本のリーダーは調整役なので、和を保つことが仕事。だから、強権を使うということは、リーダーとしての資格がないのです〉
新型コロナウイルスとの戦いのゴールはまだ先のようだが、「一億総懺悔」のような事態だけは避けたいものだ。
上野誠(うえの・まこと)/1960年福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。奈良大学教授を経て、2021年4月より國學院大學文学部教授(特別選任)。研究テーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。日本民俗学会研究奨励賞、上代文学会賞、角川財団学芸賞などを受賞。『折口信夫 魂の古代学』『万葉文化論』『日本人にとって聖なるものとは何か――神と自然の古代学』『万葉集講義 最古の歌集の素顔』『万葉学者、墓をしまい母を送る』など著書多数。
『教会と千歳飴 日本文化、知恵の創造力』