大河ドラマ『麒麟がくる』は、天文16年(1547)から始まる。
天文年間は、「THE 戦国」真っ只中。全国各地が動乱の渦中にあった。

天文10年には甲斐で武田晴信(後の信玄)が家督を継ぎ、同12年には種子島に鉄砲が伝来したとされる。関東では、天文14年に北条氏康が河越の夜戦で勢力を伸長し、東北地方では、伊達政宗の曾祖父と祖父にあたる稙宗と晴宗の内紛が勃発していた。
西国の毛利元就はようやく安芸一国を固め、厳島の戦いで陶晴賢を破ったのは天文24年(1555)のことだ。

長尾景虎(後の上杉謙信)が上杉家の家督を継いだのが天文17年。室町幕府将軍は第13代足利義輝で、朝廷は歴代の中でもっとも貧しかったともいわれる後奈良天皇が在位していた。

このころの東国では、

相模 北条氏康
駿河 今川義元
甲斐 武田晴信
越後 長尾景虎

という錚々たる面々が割拠し、和平、離反を繰り返しながら、しばしば合戦に及んでいた。
しかし、信濃攻略を進めていた武田晴信と、鎌倉府の後身・古河公方と戦いながら関東進出を目指していた北条氏康の思惑が一致。天文18年に三河の松平広忠(家康の父)が急死したことにより、三河を支配下に置き、さらに隣国尾張への進出を目論む今川義元も北条、武田との同盟の必要性を感じるようになった。

三国は天文21年から、下記の婚姻を通じて同盟を結ぶに至る。

●今川義元息女・嶺松院が武田晴信嫡男・義信に嫁ぐ(嶺松院の母は武田信虎の息女で晴信の姉だったので、嶺松院と義信はいとこにあたる)。
●北条氏康息女・早川殿が今川義元嫡男・氏真に嫁ぐ。
●武田晴信の息女・黄梅院が北条氏康嫡男・氏政に嫁ぐ。

甲相駿三国同盟によって、武田晴信は、今川・北条の動向を気にすることなく、信濃攻略に専念。武田軍に攻められた信濃の村上氏が、越後の上杉氏に援軍を要請したことで、川中島の戦いが起こる。天文22年から永禄7年の11年の間に5回に及ぶ「戦国でもっとも不毛な戦い」とも称される合戦が行なわれた。

川中島古戦場。

川中島古戦場。

川中島にある信玄と謙信像。川中島合戦はお互いにとって不毛な戦いだった。

川中島にある信玄と謙信像。川中島合戦はお互いにとって不毛な戦いだった。

そして――。駿河、遠江、三河を支配下に置いた今川義元もまた、北条、武田の動向を気にすることなく、三河の隣国尾張に侵攻できるようになった。

時は、天文から弘治を経た永禄3年(1560)。5月12日に駿府を発した今川義元は1週間後に織田信長軍と桶狭間で激突。2万5000人の大軍を擁した今川軍がわずか2000人の織田軍に敗れ、大将首を取られるという大敗を喫する。その結果、織田信長、木下秀吉、明智光秀、それぞれの人生ばかりでなく、日本の歴史が大きく動き出す。
天文年間の関東で結ばれた三国同盟が、時を経て、日本の歴史を動かした――。一度動き出した歴史の歯車は、もう誰にも制御できないということか。

政略結婚で他国に嫁いだ姫たちのその後

三国同盟で背後を気にすることなく尾張に進出できたことが結果的に仇となった今川義元(臨済寺蔵)

三国同盟で背後を気にすることなく尾張に進出できたことが結果的に仇となった今川義元(臨済寺蔵)

桶狭間の合戦で当主・今川義元が討ち取られたことを受けて、三国同盟は揺らぎだす。武田晴信が、今川領へ触手を伸ばそうと試みたのだ。

その過程で、義元息女・嶺松院を妻としている武田家嫡男義信と晴信が激しく対立することになる。嫁側に立った義信は廃嫡され、やがて自害に追い込まれる。義元息女・嶺松院は、兄氏真のもとに帰されることになる。

永禄11年(1568)、ついに武田晴信は、徳川家康とともに今川領への侵攻を開始する。晴信は北条氏康も誘ったが、氏康は、自らの息女・早川殿が今川氏真に嫁いでいたことから、晴信の要請を断り、氏真に援軍を送る。

現代的価値観でいえば、北条氏康の方がはるかに人間味あふれる対応を取ったということだ。

その後、今川氏は没落し、江戸幕府成立後は、旗本までに身を落とす。三国同盟という政略結婚で駿河から甲斐に嫁いだ嶺松院は、実家が没落してしまった慶長年間に亡くなったという。

一方、今川氏真に嫁いだ北条氏康息女・早川殿はどうなったか。

実家・北条家は秀吉に攻められ滅亡、夫・今川氏真は零落したものの、命は永らえた。氏真との間に、後に高家を務める品川高久を設けるなど、家名を後世に伝えて、慶長18年、早川殿は、江戸で亡くなっている。

最後に、北条氏政に嫁いだ武田晴信息女・黄梅院はどうなったか?

前述の、永禄11年の武田軍による駿河侵攻に激怒した北条氏康は、氏政との間に嫡男・氏直を設けていた黄梅院を即座に甲斐に送還。翌年、27歳の若さで甲斐で亡くなっている。実家の武田家の滅亡は、天正10年(1582)。天正18年(1590)には、秀吉との戦いに敗れて、夫・氏政が切腹、助命された嫡男・氏直も翌年病死。実家と婚家の滅亡を知ることなく亡くなったのは、ある意味幸せだったのかもしれない。

文/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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