文/倉田大輔
2019年4月1日に248番目の新元号「令和」が発表されました。元号についての話題が多い今、日本の歴史を遡って、改元に影響した「天然痘(痘瘡)」をご紹介します。
改元すること14回!
改元は吉祥や大災害の時に行われましたが、平安時代末期から室町時代にかけて
「天暦(947年)、永久(1113年)、大治(1126年)、応保(1161年)、長寛(1163年)、安元(1175年)、治承(1177年)、建永(1206年)、承元(1207年)、嘉禄(1225年)、嘉禎(1235年)、乾元(1302年)、弘和(1381年)、享徳(1452年)」と14回も改元しています。
この14回の改元は、「天然痘」の大流行が原因でした。
248改元のうち5.6%を占めていること、わずか1~2年で改元された時もあることに驚かされます。
「天然痘」はウィルスが空気感染し、約12日間の潜伏期間を経て、急激な高熱(39℃前後)で始まります。3日ほど高熱が続いた後、水疱(すいほう)が顔から全身に広がり、水疱が化膿しカサブタになります。14~21日程度で軽快するものの、その間に死亡することが多い病気でした。治ったとしても顔に痘痕(あばた)を残すこともあります。
現代でも「痘痕もえくぼ」という、ことわざは使われていますよね。
戦国時代に活躍した「独眼竜」伊達政宗は幼少期に「天然痘」に罹り片目を取り除かれました。
天然痘による死者数は? 国を滅ぼしたこともある?
「天然痘」は1980年にWHO(世界保健機関)が天然痘撲滅宣言をし、人類が撲滅させた唯一の伝染病です。最後の患者は1978年ソマリア人男性とされています。
20世紀に2つの世界大戦を含め戦争による死者は約1億人に対し、「天然痘」による死者は、20世紀だけで推計3億人に上りますので、かなり多くの人々が犠牲になったはずです。
世界最古とされる「天然痘」患者は、紀元前12世紀古代エジプトのラムセス5世(ミイラの顔の痘痕より)ですが、非常に歴史が長い病気なので、世界における全死亡者数は当然不明です。
確認できるうえで世界史上、「天然痘」が原因で滅んだ国が3つあります。
まず「ローマ帝国」。165年ローマ帝国はバルティア(現代のイランとその周辺諸国を含む)に遠征します。そこで発生した「天然痘」が遠征軍を崩壊させ、帰国した兵士達から帝国本国内に拡大し、兵力が激減し、国の崩壊につながります。
2つ目は「アステカ帝国」。1521年わずか500人ほどのスペイン軍が数百万人を擁するアステカ帝国を破りました。これはスペインから持ち込まれた「天然痘」がアステカ帝国首都に蔓延し、多数の死者を出し抵抗する力が無くなったことも関係しているようです。
3つ目は「インカ帝国」。1533年インカ帝国はヨーロッパ人が奴隷として連れて行った中央アフリカの人々を介して「天然痘」が感染します。結果人口の約60~90%を失い、皇帝や貴族たちまで命を落とし、滅びました。
失政の原因?
中央アジアを起源に東西世界に感染が広がりますが、日本で「天然痘」の流行が確認されているのは『続日本紀』で、天平7年(735年)。遣唐使が連れて来た一行の中に感染者が混じっていて、九州の太宰府を中心に朝廷のある近畿地方まで感染が広がります。中国大陸から日本に渡来した「仏教」を広めた説、政治を怠った失政説、祟り説など様々な原因が語られました。
私が考えるに、朝廷内の権力争いに「天然痘の流行」が利用された可能性もありそうです。
事態に対処するため朝廷では、罪人を釈放する大赦や祈祷、奈良の大仏建立、食料の配給などを行います。
天平9年(737年)6月に朝廷から地方に向けて通達された、治療法や注意事項をご紹介します。
(1)疫病の名前は「赤斑瘡(あかもがさ)」。発症から3~4日ないしは5~6日で発疹が出る。3~4日頃には高熱が出て冷水を飲みたがるが、飲んではならない。咳、おう吐、吐血、鼻血、下痢を併発することがある。
(2)布や綿で腹や腰を温めること。
(3)粥や重湯を食べ、鮮魚・肉・生野菜を避けること。
(4)海藻や塩を口に含ませると良い。
(5)病が癒えて20日間経っても、鮮魚・肉・生野菜を食べたり、水を飲んだり、水浴びや風雨にさらされることは控えること。それ以後は、「火を通した魚・肉や干アワビ・カツオ・蘇(チーズのような食品)・蜜は良い」が、サバやアジは干物でも避けた方が良い。
「体を冷やして体力を消耗させないこと、消化に悪い物は避け、消化に良い物を食べること」、発熱による脱水症対策としての塩分摂取は、現代医療にも通じます。
天然痘はどう対策した?
予防法として、まず「天然痘」患者の皮膚や衣服から成分を取り出し接種する「人痘接種法」が10世紀頃から行われ、ある程度成果はあったようです。ところが新たに「天然痘」を発症したり、流行を生むこともあり悩ましいものでした。
1796年イギリスのジェンナー医師が「乳牛絞りの女性は天然痘に罹らない」という話をヒントに、牛が感染する天然痘(牛痘)を予防に活用した「牛痘種痘法」を開発します。
日本に「牛痘接種法」が伝わったのは、ジェンナー医師の開発から53年後の嘉永2年(1849年)です。
日本に届くまで年月がかかった理由は、当時の鎖国政策に加え、冷蔵冷凍技術が無い時代に「牛痘苗(ワクチン)」を傷むことなく海外から持ち込むことが難しく何人もの人が失敗をしています。江戸時代に「徳川将軍15名中6名、天皇14名中5名」が「天然痘」に罹ったようです。
日本で「牛痘種痘法」を全国に広めたのが、「適塾(大阪)」を設立した「緒方洪庵」医師。「大阪除痘館」として幕末の動乱の渦中も活動していました。「適塾」は現代の大阪大学医学部につながっています。
今もそこにある「天然痘」の危険性!
「天然痘」は、3つの点から現代でも注意が必要です。
まず「世界に天然痘患者はいない」ことになっているので、医学部や医師教育で学ぶ機会は殆ど無く、診察や治療機会もありません。多くの医師は「天然痘」に対処できない可能性があります。
次に「天然痘」撲滅後にウィルスは、米国と旧ソ連に集約され、それ以外は破棄されました。ところが旧ソ連崩壊に伴う混乱に乗じて、ウィルスがテロ組織に渡った疑惑があります。撲滅から約40年経ち、世界中に誰も免疫を持っていません。
生物兵器として使用されると、かなり大きな被害が出てしまう恐れがあります。
3つ目に「天然痘」は航海や戦争など、人間同士が接触することで感染が広がりました。交通の便が悪く周囲と交流が少ない土地では感染機会も少なかったのです。現代のように飛行機をはじめ交通機関が発達し、迅速な移動が出来る時代では、ある地域でひとたび感染が起こるとあっという間に世界中に感染が広がりかねません。
日本国内での「天然痘」は、明治時代3回の流行で死者7万2千人、第2次世界大戦の終戦直後1946年には患者数1万8千人、死者3千人という被害を及ぼしています。
1955年を最後に国内患者は確認されていません。
「天然痘」を撲滅させたのは人類の英知ですが、特効薬を持たない私たちに重要なのは、「令和の時代になっても、天然痘という病気を忘れずにきちんと記憶しておく」ことかもしれません。
文/倉田大輔
池袋さくらクリニック院長。日本抗加齢医学会 専門医、日本旅行医学会 認定医、日本温泉気候物理学会 温泉療法医、海洋安全医学・ヘルスツーリズム研究者、経営学修士(明治大学大学院経営学研究科)
2001年 日本大学医学部卒業後、形成外科・救急医療などを研鑚。
2006年 東京都保健医療公社(旧都立)大久保病院にて、
公的病院初の『若返り・アンチエイジング外来』を設立。
2007年 若返り医療や海外渡航医療を行う『池袋さくらクリニック』を開院。
「お肌や身体のアンチエイジング、歴史と健康」など講演活動、テレビやラジオ、雑誌などへのメディアに出演している。
医学的見地から『海上保安庁』海の安全啓発への執筆協力、「医学や健康・美容の視点」から地域資源を紹介する『人生に効く“美・食・宿”<国際観光施設協会>』を連載。自ら現場に赴き、取材執筆する医師。
東京商工会議所青年部理事
東京商工会議所 健康づくりスポーツ振興委員会委員
東京商工会議所 豊島支部観光分科会評議員
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