今年、喜寿を迎える日本舞踊家の健康の源は、朝の果物。果物は胃腸や体を目覚めさせ、脳のエネルギーにもなるという。
【楳若勧二郎さんの定番・朝めし自慢】
江戸前で鉄火肌、あるいはちょっと崩れた小粋な女──。日本舞踊・楳若流宗家、楳若勧二郎(うめわかかんじろう)さんの女舞の世界はそう評される。初代吾妻徳穂が、“100年にひとり出るか出ないかの逸材”と絶賛したほどである。
昭和19年、福岡県豊前市に生まれた。網元をしていた父を始め、芸事が好きな一家だった。
「私が3歳の頃、日本舞踊を習っていた長姉を真似て、見よう見まねで踊ったことをおぼろげながら覚えています」
三つ子の魂百まで、芸の道に進むと決めて17歳で上京。そこで運命的に現楳若流頭取の楳若勧助さんと出会い、日本舞踊・楳若流を創設する。まだ18歳だった。
師をもたぬ、独学修業。だが、諸先輩に恵まれた。評論家の郡司正勝や戸部銀作、日本舞踊家の初代猿若清方、初代吾妻徳穂らに可愛がられ、彼らの推薦で日本舞踊協会に入会。この頃の郡司正勝からの助言が、その後の道を決めた。
「郡司先生から“舞踊界に染まるのか、今まで通りに一匹狼で行くのか”と問われ、どこにも属さないで一匹狼で行くと決めました」
その時、郡司からもらった言葉がある。“我以外皆師”。この言葉を胸に、勧二郎独自の世界を築き上げてきた。『女舞三趣』で昭和61年度文化庁芸術祭賞を受賞したことからも、その実力のほどがうかがえよう。
舞踊家ならではの体重管理
勧二郎さんは、この4月8日に喜寿を迎える。今も東京本部を始め、地方にある支部を東奔西走する日々だが、健康の秘訣は何か。
「踊ること自体が健康にいいのでしょう。それと“朝の果物は金”といわれるように、朝食には果物を欠かしません」
朝、食べる果物は胃腸や体を目覚めさせ、また脳のエネルギー源となるブドウ糖を始め、果糖も多く含まれている。加えて、気をつけているのは体重管理だ。
「私がテーマとする女舞は太っていては美しくない。牛乳やドレッシングは低脂肪のものを愛用。朝食と昼食の後にはお稽古があるのでしっかり食べますが、夜は軽く麺類程度です」
楳若家では鰻やすき焼き、鍋物も昼食に登場するという。
観るもの、聴くもの、感じるもの、全てが芸の糧になった
踊り続けて60年──。楳若流宗家の勧二郎さんは芸ひと筋、頭取の勧助さんは営業面と、二人三脚で時を重ねてきた。
「若い頃は歌舞伎、能、狂言はもちろん、体があいていればあらゆる舞台を観に行ったものです。観るもの、聴くもの、感じるもの、これら全てが芸の糧になり、郡司先生(前出)からいただいた言葉通り、“私以外の人は皆先生”でした。それは今も変わりません」
男ふたりで漕ぎだした楳若流ではあったが、創流15周年頃から軌道にのり、今では全国に弟子180余人を数える。
「今、宗家としての私の仕事の第一は“振り付け”です。これは古典を踏まえた上での独自性がなければいけない。喜寿公演では能の『隅田川』の続きを舞う『後の隅田川』や狂言『庵の梅』などを考えていますが、いずれにしましても新作ならではの“振り”をご披露したいですね」
女舞の奥義を窮めること。その思いは年々強く、4月11日(於国立劇場小劇場)の喜寿記念公演『勧二郎の世界』では、どんな舞を見せてくれるのか楽しみだ。
※この記事は『サライ』本誌2021年4月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )