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本場の中国料理を日本に広めた第一人者 「陳家私菜」オーナーシェフ陳龐湧さんが語る「独力で成功できる秘訣」

文/内野智子

世界の味が集まる日本で、星の数ほどもある中華料理店。そんななかでひと際異彩を放つ本格四川料理のお店があります。赤坂に本店を構える陳家私菜。石焼き鍋に入った熱々の麻婆豆腐、削った麺を飛ばして鍋に入れる刀削麺、辛いのに箸が止まらないよだれ鶏……。今ではよく見かけるようになったこれらの料理を日本で最初に紹介したといわれるお店です。オーナーシェフの陳龐湧さんは単身来日し、独力でお店をオープン、いまでは都内に7店舗を展開し、中国政府からも美味しいと公認される店へと成長させました。その原動力や、成功の秘訣をお聞きしました。

陳家私菜オーナーシェフの陳龐湧さん

公園通りを上がったところにある陳家私菜・渋谷店

留学から修行時代は苦労の連続!

「約30年前、25歳の時に日本語が勉強したくて来日しました。当時の中国ではアメリカやヨーロッパに興味を持つ人は多くても、日本に行きたがる人はあまりいませんでした。でも私は映画『男はつらいよ』を観て日本を好きになりました。それまで持っていた日本に対するイメージが変わったのです。日本に中国の文化を伝えたいと思いました」

来日時の所持金は日本円にしてたったの6000円、しかもアテにしていた留学先の学校の寮は定員オーバーで入ることができなかったそうです。現在では日本在住の中国人も多くなりましたが、当時はまだそれほどでもなく頼る相手は誰1人としていません。そこで陳さんは新宿中央公園で寝泊まりするという驚きの決断をします。

「中国からお米と鍋と布団は持ってきていたものの、公園の向かいにあったホテルのゴミ捨て場でサンドイッチ用に切り落とされたパンの耳をほぼ毎日拾っていました。それをトイレの手洗い用の水と一緒に食べていたのです。こうして野宿しながらも空き缶などを集めてお金を貯め、ようやくアパートを借りられるまでになりました。でも、当時は(保証人などもおらず)貸してもらえませんでした。9月に来日し、ようやく知り合いが借りている部屋に泊めてもらえることになったのが11月のことです。六畳一間に6人だったかな。もう寝るだけでギュウギュウでした(笑)。お風呂がなかったのでバケツに沸かしたお湯を入れ、小さな石けんをみんなで使って体を洗っていました」

その頃の陳さんは、学校に行きながら3つもバイトを掛け持ちしていました。中国の文化を伝えたいという信念があったからできたと振り返ります。

「朝4時から新聞配達をして、学校に行き、清掃のバイトに続いて飲食店で、土日は一日工事現場で働きました。毎日、始発に乗って終電で帰り、一年間ほぼ休みなしの日々でした。築地市場にある―60度の冷凍庫の中でマグロの解体をやったこともあります。最初は日本語が全然分からず、怒られてばかりでした。私と同じように日本にやってきた中国人もたくさんいましたが、挫折して帰ってしまう人も多かったです」

こうして必死に働きながら勉強を続け、なんと大学在学中に三井物産に入社を果たします。しかし、日本と中国の架け橋になりたい! それには自分でお店をやるのが一番だと考えるようになったそうです。そこで一念発起。会社を退社し全てを投げ打って、ヒルトンの中華料理レストランの皿洗いという一からの再スタートを切りました。

「経験もなく中国人の私に、周囲は決して優しくはありませんでした。当時はまだまだ中国人への差別も多かったのです。そんななかで唯一助けてくれたのが、大学在学中のバイト先で出会った高輪プリンスホテルの料理長でした。『お前は頑張っている。日本人の倍ぐらい働いている』といつも助けてくれました。その人が洗い場からサラダ担当に引き上げてくれたのです。料理長が自ら調理した料理を食べさせてくれたり、残った高級な食材を食べさせてもらったりすることで、いろいろと学ぶことができました。その料理長は独立した私のお店にも訪ねて来てくれ、『お前は俺の自慢だ!』と言ってくれたほどです」

この学生時代に出会った料理長への思いは強く、お話をされながら少し涙ぐむほどでした。「(半端なことをして)おやじ(料理長)を裏切れない」という気持ちが修業時代はもちろん、今もその信念を支えているのかもしれません。

お店のオープン後は不幸続き!?

陳さんは数々の名店で修行を重ね、満を持して1995年に第1号店となる「中国家庭菜 湧の台所」をオープン。しかし、ビルの地下であり、表通りに看板も出せない場所だったことからお客がまったく入らず、結婚したばかりの日本人の奥様とふたり、お店に寝泊まりする日々だったといいます。

「お店の椅子を並べて寝ていました。奥まった店だったためか2度も泥棒に入られたんです。そのため仕入れのお金が足りなくても銀行はお金を貸してくれません。でも、新宿中央公園で寝泊まりしていた時から持ち続けた、いつかこの日本で成功したい!という思いだけは消えませんでした。一年後あたりから安くて美味しいと評判になり、奥田英二夫妻やみのもんたさんなど有名人がお店に来てくれるようになりました。彼らが口コミでお店の評判を広げてくれたのです。おかげでお店は繁盛し、時には地上にまで続く行列ができるほどでした」

オープン当時の一号店と陳さん

勢いに乗った陳さんは、中国から料理人の弟さんを呼び寄せ同じ赤坂で2号店をスタート。しかし、これからという時に再び陳さんを不幸が襲います。

「父、弟、義父と同じ年に立て続けに亡くなったのです。とくに義父はガンで治療にもお金がかかりました。妻の両親は私たちが忙しい時、子どもたちの面倒を見てくれました。そのお陰でお店を続けることができたのです。その恩に報いたかった」

陳さんは借金をしてまで治療費を払いました。しかし残念ながら義父は帰らぬ人に。それでも陳さんは進むことを辞めませんでした。中国の本物の味を、真心をこめて提供することが恩返しになると信じていたからです。

貫いてきた信念があるからこその発展!

現在では7店舗を展開し、高い人気を誇る陳さんのお店にはチェーン展開やフランチャイズの話が毎日のようにやって来ます。でも、全て断っているそうです。

「フランチャイズはやろうと思えばすぐにできたでしょうし、そうすればお金も儲かり、私自身も楽になったと思います。でもそれでは味が落ちてしまいます。私は今でもお店を回って常に味をチェックしています。私の味と違った場合は、すぐに修正してもらうためです。どんなに腕の良い料理人でも、任せっきりにしてしまうと、どうしても自分の味になってしまう。だからのれん分けもしていません。味を保つためには現在の店舗数が限界なのです」

日中友好には食文化を伝え、お互いの誤解を解くことだと思いレストランを始めた陳さん。お金を稼ぐことよりも、安くて美味しい中国の本物の味という陳家私菜のブランドを守るという、陳さんの揺るぎのない信念は、来日してからずっと変わらないのです。

(この信念を守るために)料理人や従業員、仕入れ先にもうるさく言います。味が違うと警告し、それでも変わらなければ給料を下げます。そのかわり、頑張った人には臨時ボーナスをどんどんあげます。だから、みんな頑張ってくれます。仕入れ先から良くない食材を持ってこられた時には返してしまったこともあります。だから、どこも最高の食材を持ってきてくれるのです。

私の店では高級料理店と同じような食材を使い、同じような味を安く提供しています。普通は原価が合わないからやれないでしょう。こうした利益を無視する私のやり方を周りの人は『バカだ!』と言いました。でも、結局残ったのは私のお店だけです」

元祖 頂天石焼麻婆豆腐

元祖 麻辣刀削麺

よだれ鶏

そんな陳さんのお店は激辛グルメ祭り四川料理フェスティバルチャイナフェスティバルなど、主要なイベントに出展するたびグランプリや一位を獲得しました。いまでは中国政府公認の四川の美味しいお店にも選ばれるほどです。

「うちでは(冷凍ものやレトルトに頼らず)ちゃんと一から作っているので全てのお店でオープンキッチンにしています。値段もギリギリに抑えています。中国料理の基本となるスープも毎日各店舗で作っています」

次回は、そんな陳さんの料理へのこだわりに迫ります。

陳龐湧(chin ban yu)さん
1962年、中国・上海生まれ。1988年に日本語を勉強するため来日。大学を卒業する前に、三井物産に入社、続いて三菱商事に転職するも数年で退社。ヒルトンホテルの厨房に下働きとして入る。さまざまなレストランでの修行を経て1995年、赤坂に第1号店をオープン。
湧の台所 陳家私菜赤坂一号店(港区赤坂3-19-8 赤坂ウエストビルB1F)
ミスターチンズダイニング 赤坂二号店(港区赤坂3-12-1 フロレンス赤坂ビルB1F)
正統派中華 陳家私菜渋谷店(渋谷区神南1-16-3 ブルーヴァールビルB1F)
路地裏本格中華 陳家私菜五反田店(品川区西五反田2-26-2 桔梗ハイツ2F)
路地裏本格中華 陳家私菜新宿店(渋谷区代々木2-15-9 加藤ビル1F)
路地裏本格中華 陳家私菜秋葉原店(千代田区神田和泉町1-1-12 ミツバチビルB1F)
正統派中華 陳家私菜有楽町店(千代田区丸の内3-1-1 国際ビルB1F)
http://www.chin-z.com/

文/内野智子 撮影/乾 晋也

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