取材・文/ふじのあやこ
離婚、再婚などで複雑化する家族関係。血縁のない家族(義家族)との関係で生じる問題、そして新たに生まれたものを、当人にインタビューして、当時感じた素直な気持ちを掘り下げます。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺った佳代さん(仮名・39歳)は、28歳の時に結婚して一児をもうけるも、33歳の時に離婚、現在は大阪市内で子どもと2人暮らしをしています。幼少期から両親の不仲を目の当たりにしていた影響もあるのか、結婚願望は一切なし。大学から付き合う男性の間に子どもができるも、結婚の意思は固まりませんでした。しかし、挨拶で訪れた夫の実家にて義両親と接したことで、家族として生活を歩むことを決意します。
「私はずっと自分の両親を見てきて、家族関係も淡泊なので、友人を含め相手の家族と馴れ合うことを嫌っていました。自分の家はおかしいんだと、他の家との違いを感じたくなかったんだと思います。だから他人の家族と対峙するのはあの挨拶の時がほぼ初めてでした。なんて表現していいのかわかりませんが、すごく毎日を大切に生きておられる感じがしたというか。私が夫に惹かれた根本はこのご両親が作ってくれたものなんだなって思いました」
妊娠中の体調を一番気遣ってくれたのは義母。母親という存在の大切さを初めて知った
挨拶後すぐに入籍。両家の顔合わせ、結婚式を希望していた義両親ですが、佳代さんの態度から気づいたことがあったのか、無理強いはしてこなかったと言います。
「彼は一人っ子で、初婚。当然結婚式や両家の顔合わせを希望されました。でも、私は両親には結婚をメールと電話で伝えただけだったし、結婚式はしないと伝えていました。整えられた外面の両親に感謝の手紙なんて読めませんよ。姉は私の前にすでに嫁に行っていたんですが、姉も結婚式はしていません。それに母親からも夫に会いたいなんて言ってきませんでしたから。
夫は私と両親の関係を知っているので、結婚式をしないこと、私の家族にはすでに会ったと嘘をつくなど、助け船を出してくれて、義両親もそこから何かを察したのか無理強いはしてきませんでした。義母は『じゃあ少しいいところで4人で食事をしましょう』と提案してくれて。そこからレストランを探すために、妊娠で食べられなくなったもの、好きなものなど質問攻めに合ったことを覚えています(苦笑)」
妊娠中の世話をしてくれたのも、実の母親ではなく義母だったそう。
「私は妊娠中も働いていました。つわりなどもひどくなかったし、仕事を辞める選択はしたくなかったから。私の場合、妊娠中はやたらと眠たくなったり、肌が敏感になったみたいで痒みが酷くなる時期がありました。そこをサポートしてくれたのは義母で、週に1~2度家に来て、作り置きのご飯を作ってくれたり、重いものの買い物をしてきてくれたり。ネットで調べて妊婦に評判の良い保湿オイルを買ってきてくれたり。本当にとても助かりました。小さい頃からこんなに甲斐甲斐しくお世話をしてもらったことがなかったので、少しむずがゆい感じがしましたね。母親ってこんな存在なんだなって、精神的にもとても支えてもらいました」
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