取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
食事は3食とも炊事当番が作り、弟子たちと一緒に摂る。寝食を共にすることで技に加えて、人間育成もできるという。
【小川三夫さんの定番・朝めし自慢】
修学旅行で見た奈良・法隆寺の五重塔が、その後の人生を決めた。昭和40年、高校2年の時である。
「ロケットが月や宇宙に行く時代に、1300年ももつ建物を作ることのほうが、大学に行くよりすごいことに思えました」
と、小川三夫さんが当時を振り返る。栃木県の進学校を卒業して宮大工を志し、法隆寺棟梁の西岡常一さんの門を敲く。西岡さんは“法隆寺には鬼がいる”といわれた、名人にして怖い棟梁だ。だが、断られる。“仕事がない”“18歳では遅すぎる”というのが、その理由だった。
長野県・飯山の仏具店、島根県・日御碕神社、兵庫県・豊岡の酒垂神社などで修業しながら、西岡棟梁の弟子になれる日を待った。昭和44年、奈良・法輪寺三重塔の再建が始まり、ようやく西岡棟梁から内弟子になることを許される。
「この時、棟梁からいわれたのは“1年間はラジオも聞かなくていい、テレビはいらん、新聞も読まなくていい。大工の本も何も読む必要ない。ただひたすら刃物を研げ”でした。内弟子ですから棟梁の家族と一緒に暮らしながら、それを守りました」
翌年の薬師寺三重塔の学術模型作りに始まり、同寺の金堂や西塔再建と、西岡棟梁の技を身近で見て宮大工としての腕を磨いた。
昭和52年、30歳で独立して『鵤工舎(いかるがこうしゃ)』を設立。古技法を伝承しつつ、弟子を育成してきた。今、ここから巣立った宮大工は全国に100人以上いるという。
健康の秘訣は粗食にあり
『鵤工舎』の食事は規則正しい。朝食6時、昼食は正午、夕食は午後6時だ。その他、午前10時と午後3時におやつの時間がある。
「独自の徒弟制度のもと、共同自炊生活です。炊事当番は新人が担当し、先輩を見習いながらご飯を炊き、味噌汁を作っていますよ」
米を食べなければ元気が出ないと、朝食はご飯と味噌汁に納豆、卵という献立だ。1年で消費する米の量はひと袋30kgを60袋。地元・栃木県塩谷の旨い米である。
美食は外道。質素ではあるが、健康的な食生活で、宮大工としての体力を養う。寝食に加えて仕事も一緒。こうして頭も体も、宮大工のそれになっていくという。
組織は生もの、新風を入れないと腐ってしまう
『鵤工舎』には、奈良・斑鳩、栃木・田所と岩舟の3つの作業所があり、常に30人ほどの弟子がいる。親方としての役目は、西岡棟梁がしてくれたのと同じように、『鵤工舎』という育つための場所と、仕事という現場を用意して、肝心な時にひと押ししてやることだ。『鵤工舎』がこの40年で手掛けた堂や塔は100棟を超える。
「ここは学校ではなく、賃金をもらって働く会社でもない。自分の意志で学ぶところです」
というが、弟子たちの修業期間は、基本的に10年。最後の仕上げは現場の責任を負うことである。
「先輩たちが次々に席を譲ってくれたから、常に試練の状態が『鵤工舎』にはある。通常の組織ならベテランが抜けたら痛手だが、そういう組織は一度は栄えるが、必ず腐り始める。組織は生もの、新しい風が必要なんです」
その言葉通り、自らも60歳を機に田所と岩舟を長男に、斑鳩を娘婿に引き継いだ。棟梁としての最後の仕事は、平成18年竣工の埼玉県行田市の長久寺本堂だ。これからは寺社の設計に打ち込みたいと、新しい夢を歩んでいる。
取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
※この記事は『サライ』本誌2019年7月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。