取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、都内の企業で働く障害者のサポートスタッフをしている梢さん(仮名・36歳)。北海道出身で両親と2歳下と5歳下に妹のいる5人家族。両親ともに小学校の先生をしており、特別支援学級を受け持っていたことや、実家で祖母と曽祖母と同居していたことが影響して、高校卒業後は福祉や介護の道に進むことを決意します。
「進路を決めて大学を探していたところ、地元で家から通えるところは専門学校しかなくて……。どうせなら大学卒業時に資格を取れるところがいいと思い探していたら、その学校が東京だったんです。先生に相談したら、私は学校の成績が上のほうだったこともあり、推薦が取れると言われたのでそのままトントン拍子で。3年の秋ごろには受験が終わっていましたね」
最初は心細かった東京での生活。2人の妹と東京で一緒に暮らし始めたことで、北海道での生活が遠いものになっていき
東京行きを両親は一切反対せず。上京する時に父親は東京の新居まで送ってくれ、さらには荷ほどきも手伝ってくれたそうです。
「私は東京になんて一人も知り合いはいなかったから、いざ上京する日が近づいた時に少し不安になっていたんです。これから一人で大丈夫だろうかと。その気持ちを察してか、父は仕事が忙しいのに東京までついて来てくれて、荷物まで一緒に片づけてくれました。家族が多いので、父と2人きりになることが今まで数えるほどしかなかったし、本当に久しぶりだったから、少し恥ずかしかった記憶が残っていますね」
大学では友人にも恵まれ、楽しく過ごしていたと言います。そして、その2年後には真ん中の妹が、さらに5年後には一番下の妹まで上京してきます。
「真ん中の妹は大学で出てきて、そこから2人暮らしが始まりました。私は無事大学で資格を取り、そのまま東京の福祉施設で働き始めていました。そのタイミングで、一番下の妹が短大進学のために上京してきました。一番下は短大の時には寮に入っていたんですが、短大を卒業後は私たちと一緒に暮らすことになって、数年ですが3人暮らしをしていました。すっかり東京での3人暮らしに慣れた時、祖母が脳卒中で倒れてしまって……」
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